気づいたこと
冠省
こんにちは。marです。
わたくしには、売れるものがありません。
〇〇認定〇〇士・・とか。
〇〇セラピスト・・とか。
なんていうか、名乗れるようなものがありません。
名乗ってしまえば、それが覚悟にもなっていくものなのでしょうが
それだとちょっと違う気がするのです。
話す方が好きだし気持ちを伝えられると思う。
文章だと、もどかしいな、と感じることが多い。
何故そんなことを思ったのか、と言うと・・・。
前職でOLさんをやっていた時。
入社した瞬間から「前向きな明るい気持ち」が吹っ飛びました。
なんとも空気の悪い会社で。丁寧に話しているのはよくわかるが、話しかけるなオーラが満載で、頑張って質問すると質問を制止されたり、今すぐ答えが必要ですか?あとでよろしければ後にしてください、と答えてくれなかったり。ことごとく、当たって砕けていました。
必要最低限の情報も与えられず、暗中模索とはまさにこのことで、何もできずに手をこまねいている日が続きました。
わたくしが頻繁に注意されていたのは「タメ口はダメ!」と言うこと。
会社とはこんなに堅苦しいところなのかと閉口しました。実際、わたくしとか言っちゃってますが下町育ちゆえに、育った環境から言うと口は悪い。確かに。回りの旦那衆もおかみさんたちも皆さん物言いが直球でストレートでしたので、キツいっちゃキツいのは否めません。重々承知の助でござる。
それにしても、なんだか見えない高い壁が立ちはだかるような環境の障がい者の就労移行支援の会社。就労した際に困らないように普段から言葉遣いに注意し、見本であるように、と言うことを言われましたが、そればかりでは相手の懐に入ることはわたくしにはできないと感じました。タメ口推奨しているわけじゃなくて!信念のようなものがありました。
まずは、相手を知りたいしわたくしのことも知ってもらいたい。
言葉遣いうんぬんよりも、どんな話でもいいから気軽に話し合えることを優先したいと感じたのです。自分のことを語ってもらうときに、その言葉遣いはおかしいとか丁寧ではないからダメとか、それ、必要ですか?相手に合わせて会話をすることだって大切じゃないですか?わたくし、丁寧語だって話せます。
その姿勢を崩さずにいたら、当然評価は下がります。
言葉遣い のところはいつも低評価。
しかし、会社の空気が見る見るうちに明るくなりました。
職員と利用者さんの距離がグッと近くなりました。
笑わなかった人が笑顔を見せてくれた。
無表情だった人が感情が顔に表れるようになった。
目を合わせてくれなかった人がわたくしを見ながら話をしてくれる。
無反応だった人が意見を言ってくれるようになった。
講座に無関心で黙って聞いているだけだった人が、終わった後「その意見には納得がいかない」と抗議しに来てくれた。
不満も、自慢も、冗談も、不安も、聞かせてくれるようになった。
毎日少しずつ、変化していきました。
その人が困っていること、その人が考えていること、その人の望んでいること、端々に表れるようになってきたのです。
壁を、無くすことができたかもしれない!そう、感じました。
はじめは、漠然とした「自分のやりたいこと」を聞かせてくれて、それには何が必要か一緒に考えたりしました。作家になりたいのなら、とりあえず自分の思うことを書いてみたら?と提案すると、毎日毎日熱心に執筆してくれるようになっていく。すぐに読んで感想を答えることが時間的に難しいので、原稿に感想を書いて返す、次の日も、次の日も。まるで交換日記のように。そのうち、社内新聞を作ってくれるようになり、興味のある人が手に取って読んでくれるようになりました。今頃次のステップを踏みだしていると思います。
1人で、生きている人のなんと多いことか!
実際には、近くに家族もいるし交流もないわけではない。
一緒に住んでいる場合もある。けれども。
自分の話をまともに聞いてくれる人が居ない。
話せる相手がいない。
だから、何度も何度も同じ話を繰り返す。話し足りないから。
話したって話したって話し足りない。自分じゃなかなか呑み込めない。
聞いてもらってわかってもらいたい相手は、わたくしではないんだけど。
母親だったり、女房だったり、父親だったり、かつての同僚だったり、自分をクビにした社長だったり。
「自分を傷つけた人」に向けて。
けれど。話しているうちに、わたくしの話にも耳を傾けてくれるようになることが増えていきます。「傷」は、たいてい「過去」にあるものです。
1年前 5年前 10年前・・
人それぞれですが、10年前のことだとすると、時代が違いすぎてギャップに苦しんでいます。いわゆる「あの頃はよかった・・」となります。
でも、本当に良かったわけではないんです。今でいうブラックな働き方をしていたり。中卒で学歴がないから仕事が限定されていたりひどい扱いを受けていたり。それでも頑張ってきた自分には自負がありますから、今どきの若者・今の社会は生ぬるい!となり受け入れることがなかなかできなくなってしまう。そんなことの繰り返しですから当然人は離れていってしまう。
たしかに。10年前と現在の賃金にあまり差がありません。むしろ物価は上がっているのに賃金は上がらないから当然現在の方が生活が苦しい。あの頃だったら、もっともっと稼げたのにな・・寝ないで働けたのにな・・ちょっとくらい違反しててもそれでよかったのにな・・稼げさえすれば・・。
でも、それは妄想と呼ぶしかありません。
3畳一間・風呂無し・共同便所物件なんて、現在はそうそう見つかりません。労働基準法に反すれば会社ごと無くなるご時世なのです。
今はそんな働き方しちゃだめですよ。それに、そうやってがむしゃらに働いてきたから体を壊しちゃったんじゃないの。10年て、自分も年取りましたよね、以前と同じようには動けないですよ。わたくしも同じです。
そんな風に、ちょこっと、「今」を伝えていく。
段々、自分の「現実」に目が向くようになる。そうやって少しずつ少しずつ「今の自分」を受け止めていく。時間も、言葉も必要です。書くのとは違う。話すっていう行為。本当に大切なことです。
誰か、何か、に対して喜怒哀楽以外の感情がある場合。
怖れ、失望、嫉妬、いらだちがあると攻撃的になってしまう人も多いですね。自分とは直接関係のない相手、社会全体に対してとか。
よくよく聞いてみると、以前、彼氏に浮気されたからあの芸能人は許せない、とか、威圧的な態度が父親そっくりで嫌い、とか。全くの他人の話でも自分の傷と結び付けていることが多いのです。
他人と自分の境界線があいまいになってしまうのも苦しさに拍車をかけます。毎日毎日、事件は起きるし戦争もパンデミックも起きてしまいました。
芸能人の訃報も不倫もなんでもかんでも一緒くたに報道が繰り返されます。いつしか、そういった数々の情報に飲み込まれてしまい自分を守るために攻撃に転じてしまうんですね。
誰にだって、そういう部分はあると思うんです。
そこを、ちょっと愚痴る、ちょこっと話す。
誰かが「ほんとだねー」と返してくれたらそれで済む。
そんなことって、ありませんか?わたくし、毎日そんなのの繰り返しです。
掘り下げて真剣に話し合うとか、意見を聞きたいとか、たいそうなことでなくていいのです。ちょろっと同意、さらっと共感してくれさえすれば流れていく負の感情。
さて、長くなりましたが表題「気づいたこと」
自分のホームページを作ろうと思っていたんです。
ちょっと聞いてもらいたい人。全然知らない人になら話せることもありますから。いま、自分のエリアに居る人以外の人と話すって、なんかいいじゃないですか。密を避け、口元を隠す生活で対話と会話が激減し、表情から受け取る感情にも触れられず、吐き出せていない小さな出来事が胸に蓄積されてしまっています。知らない同士がマスクを外しておしゃべりをする。
しぼんだ心の老廃物を流すのは人との会話以外に無いんじゃないかな、と考えていて。
ペライチで作ってはみたものの・・・
誰かがなんか話したそうだな~って感じた時「どうした~?」から始まっていました。「どうした~?なんかあった~?」
これを、文字であらわそうとすると「あなたの心に寄り添います」しか思いうかびません(-_-;)語彙少なっ
「傷」があるってことは、残された言葉のヘドロが自分の心に静かに沈んだままそこに在るってことです。「辛い」「悲しい」「悔しい」それだけですべて言い尽くせるならそれでいいと思います。が、それだけでは片づけることのできない黒い感情が沸々と湧き上がる、たぎっている、静かに沈ませていたけれど、実は火傷するくらいの熱量を持っている場合もあるんですね、聞いてみると。持って行き場がないだけで。でも、それを書こうと思うと
「あなたの本音を聞かせてください」とか「自分の気持ちを解放しましょう」になってしまう。実際書けない言葉が出ちゃうことだってあるんですよね。
で!?って話です。
その先、わたくしにできることはなんなのかしら?と思ってしまうのです。その時にできることならあるのにな。とかもうブレブレ・・・
なので、ここでこうして発表するのも意味不明なんですが。
自分のホームページが作れない!ってことに気づいたのです。
夢はあるのに、それをきちんとプレゼンできない、それがわたくしの現在地。
気づきました~(笑) 不一