2020~2022
冠省
こんにちは。アラカン marです。
2020年1月15日に日本で感染が確認されて以来2年が経過。
2ねんかん。コロナとともに。ってことになりますね。おのずと・・・
わたくしは2019年12月。これから先の自分の生き方を考えておりました。55歳になり、世で言う「定年」「還暦」まであと5年。 自分が子供のころは50代の人を見るとずいぶんなおじさんおばさんだと感じていたものですが、いざ自分がその年になると「まだまだイケる」などとほざいておりました。
しかし、人生100年と叫ばれながら、世の中のシステムはそんなに変わっておりません。60歳代を迎えてしまってから部屋を借りたいと思っても、たとえいくら貯えがあったとしても、断られます。コレ、現実です。会社に勤務しているとか、自営業で当面は稼げるとか、「見込み」と「信用」がはっきりしない人、特に独身だったりするとお手上げです。
フリーランスで20年!そんなの強みでもなんでもありゃしませんです。 60歳まで働いて、そこで無収入になっても「一生食べていけますご心配無用でございます✋」とか言えるなら別ですよ??わたくしは60歳過ぎても働かなくては生きていけません。だいたい、まだまだ元気なのに家にいて何か良いことありますでしょうか?ものすごく部屋が片付くとか、手の込んだ料理に腕を奮うとか家事が充実するとか趣味に没頭するとか??それも大切なことですが、やはり社会参加していたい気持ちが強うございました。
フリーランスであちらこちらの現場に行き、朝から晩まで飛んで歩く・・若いうちはそれも楽しかったですがあと何年続けられるのよぉぉ(´;ω;`)ウゥゥ と、正直日和る気持ちが強くなっておりました。
「落ち着いて考えようか」
と、自分に言い聞かせて。求人などを検索してみるのが日課でした。 「50代 仕事」で検索する日々。そうしている間にコロナ上陸… 葬儀の現場は大混乱でした。密を避ける・飲食ヤバイ・死んだら会えないなどのワードがあっという間に拡散し、今まで「感染症」なんてほぼ無縁の若い葬儀関係者もオロオロするばかり。未知との遭遇でしたので当たり前のことですが不穏な空気が充満しておりました。 葬儀は待ったなしですが、家族だけで集まってひっそりと、声をかけるのもかけられるのも怖い。人と会うことは避けたい空気。ガタガタガタ・・っと葬儀の件数が激減しました。 それにはいくつかの理由があります。人が集まらなくなったこととマスク効果により従来からある風邪やインフルエンザが減少したこと。出歩く人が減ったので不慮の事故も減ったこと。コロナで命を落とす人が増えつつある一方で、葬儀を出す人の数が減りました。不思議な現象でした。
そうなると、わたくしの仕事も減る一方でございました。 かねてからぼんやり探していた次のステップ。急に現実味を帯びました。 なんの才能もございませんので。目指すは「一般事務で正社員!」 わからないとか知らないって最強ですね!パソコンはいじれる程度、電話くらいは取れるだろう、書類の整理とかは得意な気がする・・そんな程度で応募した事務職。2度、書類選考ではじかれ、早くも挫けていたところに面接の知らせが入りました!気持ちは挫けているので、どうせ採用されないと思いつつ、履歴書を何十年ぶりに書き、職務経歴書もネット検索しながら夜中までかかって作成し、自分の強みとか志望動機なんて必死に自分を奮い立たせて嘘にならない程度にアピールアピール!!翌朝ポストに投函しました。
面接はZOOM。一か八かの初ZOOM面接!ところがこれも通過し本面接にこぎつけたのが2020年1月中旬のことでした。 今思えば、あの、対面面接のときに気づけばよかったんですよね。社長さんは私に言いました。「私も異業種から参入したのです。いろんな経験している人に抵抗はありません」←こういうことを敢えて言葉で伝えるって。違和感しかないですよね。抵抗なければわざわざそこに気づきませんもんね。
私も舞い上がっておりました。なんて理解のある・・などと思ったものでございます。なぜそんな風に感じたか。それはたぶん。自分に引け目があったからだと今は思います。資格なし・異業種・55歳・2度の書類選考落ち・・。 ダメで元々体当たり!のつもりでした。結構必死でした。
採用が決まり2月1日から勤務することになりました。 お世話になった葬儀社さんに、就職することを伝えました。葬儀業界から撤退する覚悟でした。最後の葬儀の現場では、感傷的になりました。泣きそうでした。
初出勤の日。ドキドキドキドキ・・・すると、同日入社の方がいました。が他の方は福祉のお仕事経験者でした。まるでド素人のわたくしは委縮し、電話が鳴ってもそっと離れる・パソコンは触ったら壊れてしまうんじゃないかと怖くなり恐る恐る・誰に何をおしえてもらえばいいのか?聞けば聞いたで専門用語がまるでわからず・・ドーっと疲れただけの初日。明日から大丈夫なのか!?わたくし自身が逃げだしたい気持ちになっておりました。
とにかく足手まといにならぬようついていくので精一杯の1週間。 なんとなく様子がわかってきた2週間目。 時間配分ができるようになってきた3週間目。 息切れしつつもはじめの目標「とりあえず1か月」を無事クリア。 コピーも一人で取れるようになったし電話にも出られるし誰がなんで忙しくて誰のどんなお手伝いをしたらよいかがわかるようになった2か月目。 自分の担当も与えられました。
わたくしの娘2人は一般事務の正社員として働いています。わたくしはまず、娘たちを称賛しました。君たちすごいね!あんな仕事やってるんだね!尊敬しちゃう!いままでわかってなくてごめんね。君たちスゴイわ~と言った具合い。本気で世のOLさんを尊敬しました。あなたたちは確かに現代の日本を支えています!自信をもってください!!
一般事務という仕事を覚えるとともに、わたくしはこの仕事の難しさと大変さと、合わせてやりがいを見出しつつありました。
若い方々と一緒に働く中で、心地よいと感じたことが一つあります。 「じぶん」や「あいて」を大切にできること。 無理をして仕事を頑張って体を壊してしまったり、日々のハラスメントによってメンタルが崩壊してしまう人が多いと言われておりますが、その価値観を知ることで、自分の身も心も大事にしようとする術をまとっている。母親と変わらない年齢のわたくしに対しても決して「おばさん」「白髪目立ってきたね」「太った?」などということは口にしませんでした。(葬儀の現場ではハラスメントは横行しておりました。世代交代を迎えて最近やっと世の中に追いついてきているように見受けられます)
インターネットからの学びで、多種多様な人がいてそれでいいことを見て知っているからでしょうか?世の中には「小さなことで怒る人」がいたり「威張っていても偉くはない」人がいたり「バカにされても馬鹿ではない」人がいること、様々な人が身近ににわんさかあふれているのだ、ということを、年長者のわたくしたちよりも良くご存知なのです。固定観念や慣習にとらわれることなく目の前の「現実」を受け止めているのです。
誰もが最年長のわたくしを理解しようと努めてくださいました。良いところをその都度伝えてくれました。感謝の言葉がスッと出る。 「自分も相手も大切にする」一緒に居るだけでこのことが学べたことはわたくしにとってかけがいのない出来事でございました。
そして。お友達が増えました。28歳37歳50歳31歳のお友達。
こんなうれしいことはございません。退職した今でも、たまに呑みに誘われていそいそと出かけるわたくしでございます。
新しい環境に身を置いてみる。わたくしにとってはこの行動こそが自分の現在地を知るきっかけとなりました。 10年前のわたくしを思い出してみると。 外面良くて着飾ってキラキラに見せかけているけれど、実は骨粗しょう症くらいハートがカスカスでございました。内面は苦しいし貧乏だし男運ないけどめちゃめちゃ土俵際で踏ん張って・・いるおばちゃん。
ギリギリで果たした転職でございましたが、目の前に来た時につかんでいなければ…通りすぎてしまい手に入らなかったんですね。失敗が怖いなんて傲慢でございました。失敗もあってそれを乗り越えて『できる』ようになるのです。 不一
街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!