「当たり前」論
当たり前のことを、当たり前だと主張する、それだけではいけないらしい。
当たり前のことを、なぜ当たり前か説明する、それが必要らしい。
だが、当たり前のことを、当たり前だと説明する、そのことに疲れた。
当たり前のことは、当たり前ではないか、で済ませたい。
当たり前ではないか。
だって当たり前なのだから。
これで済ませたい。
当たり前のことを、説明しなければならないなら、それはもう当たり前ではない。
当たり前のことは、当たり前だ、で済ませられるから、当たり前なのだ。
だが、当たり前のことを、当たり前、では済ませられない。
僕は、当たり前、ではないらしい。
僕はもはや、当たり前、の存在ではない。
当たり前のことが、当たり前、の一言で済むなら、警察も裁判所もいらない。
当たり前のことが、当たり前、の一言で済まないから、警察や裁判所がいる。
当たり前のことを、当たり前、で済ませられる世界へ行きたい。
そんな世界があるか?
ある。
ひきこもりの世界だ。
それが結論か?
うーん・・・・・・
世の中というのは、当たり前のことを、当たり前のように説明して、ねえ、当たり前でしょう、と当たり前のように理解させるために、存在しているのかもしれない。
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