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クーピーでいえば白(チカチカ)

【チカチカ】

 毎日、通学路にある同級生の家へ行き、時間をつぶした。
 その親は共働きで、朝早くから夜遅くまでいなかったし、同じように学校に行きたくない奴らが何人か出入りしていたため、旺次郎が行っても受け入れてくれた。いわゆる不良たちの「たまり場」だった。
 ゲーム、漫画、昼寝…何をしていても誰も何も言わない。食べ物、飲み物も勝手に持ってきて、勝手に食べる。
 旺次郎は、なるべく大人数分を買って「これ、家にあったから」と、渡すようにした。
「すげぇ!」「サンキュー」「俺、これ食べたかった~」
 思いのほか、友人たちが喜んでくれたことがうれしくて、毎週、毎日…次第に量も増え、持っていくものの質も上がっていった。
 コンビニから、デパ地下のブランド銘菓、限定商品、高級果物…。
 そのたびに仲間たちは大騒ぎした。今度は何か奢ってよ〜と言われたから、みんなで焼肉にでも行こうかな、などと思っていた。
 だが、一人の同級生が言った。
「旺次郎、俺たちは仲間だ。変に下っ端みたいなことすんな。お前の金狙ってる奴とかいるから気をつけろ。」
「どういうこと?仲間だから、俺、持ってきてんだ」
「お前、ずっとそうだったろ?」
 小学生の頃、親が有名な金持ち、それだけでちやほやされた。勉強はできないけど、あいつはすごいんだぞ、という取り巻きみたいな奴らがいたから過ごしやすかった。だが、年齢と共にそいつらは離れて行ってしまった。
   話も噛み合わないし、一緒にいるとなんか疲れる、と言うことらしい。
 なんで?友達なのに。
 実は、母親がそいつらの親に、高級な物を渡したり、パーティの様な物を開いて、もてなしていたから親に仲良くしろと言われていただけで、友達とは思われてなかったようだ。
「俺たちだってさ、大人になるんだよ。いろんなことがわかってくるから」
「俺がやりたいんだから良いじゃん」
「…金がない奴もいる、親に盗んだのかって言われたりもする、俺だって、こんな高いお菓子とか見たことねぇもん。うれしいよ?だけどさ、誰かの家でお前の話が出たらなんて言うと思う?」
「どういう意味だよ」
「共和新党の関係者だからねって言うよ、それでいい?」
「だって、ホントのことじゃん…」
「でも、その後なんて言うか知ってる?2番目の奥さんの子、ああ、水商売の女ね、金に物言わせて、だから息子もそうなんだって」
「…水商売?そんなの関係ないじゃん。か、母ちゃんは関係ないし」
「だけど、大人ってそういうこと勝手に言うじゃん。結局、みんなお前んちのこと羨ましいからさ、こんなこと知ったらおばちゃんたち喜んで悪口言うぜ。そもそも、親はここにいるの知ってんの?」
「…話してない。」
「バレたら面倒なんじゃないの?おばさん騒ぐだろうし、おじさんの印象も悪くなるだろ」
 旺次郎は知らなかったが、もっと黒い遊びをしている連中もいたという。万引き、酒、たばこ、賭け事、薬物、性的乱交…。暴走族や少年院などに入っている奴もいたらしい。大人たちも事情を把握しつつ、見て見ぬふりをしているほど、良くない連中だったようだ。
「それにさ…ここにいる連中も悪くなるんだよ。お前が自分で来たのに、周りの人間が良くないからだって、俺たちが悪者にされる」
「誰に?」
「お前の親と学校に。教師なんか政治関係だからって、ヘコヘコしてるし」
「…俺、ここにいない方が良いの?」
「お前は、自分が好きでやってるんだ、こいつらは仲間なんだ悪くないって、親にちゃんと言えるの?」
 旺次郎は、考え込んでしまった。言える!すぐに答えれば良かったのに、父親のことを思い出したら言えなくなった。
 自分に何かあれば仕事に影響するだろうし、たぶん、母親が騒ぎ出して、友人たちに圧力がかかるだろう…。
「ずるいよな、結局、損するのは俺たち。だから、お前の金、親の金じゃん?お前を利用してどんどん貢がせるつもりの奴もいるってこと。友達とは思ってねぇよ。お前の親をつぶしてやりたいだけ」

 なんで、あの時の忠告を忘れていたのだろう…。
 旺次郎は思った。大学でも同じことをして結局裏切られた。中学の同級生の言葉が蘇ってきて反省する。
 俺は、一体何をしてきたのか。
 ふう…、旺次郎は息を吐いた。
「勉強します…。とりあえず、今日は何をしたら良い…すか」
「何ができるのですか?」
「わかりません…」
「…パットをお渡しします。SNSやインターネットくらいは、できますよね?」
「少し…動画を見るから」
「弊社については?」
「へいしゃ…」
「…そこからか」
 女子社員は、明らかに落胆した様子で首をうなだれた。それを見て旺次郎もしゅん、と落ち込んだ。今、自分はどうしてここにいるんだ、面倒くさそうだし、やりたいわけでもないし…。
 一瞬、反省して…ほぼ諦めの境地で勉強するなどと言ってみたものの、
やっぱり旺次郎にはハードルが高い。急に、今日から社会人です、とか意味がわからないし、そもそも働くことに意味なんてあるのだろうか。
 親から小遣いもらってるし、欲しいものは買ってもらえるし、別に働かなくても生きていけるんだよな。
 家もある、母ちゃんもいるから飯も食える、外に出る理由もないから、今まで通り部屋にいてゲームでもしてれば良いんじゃないかな?自由だし、楽だし…。学校は行かなきゃいけないだろうけど、なんで、働くんだ?
 意味なくね?
「俺、やめます」
 突如、旺次郎は顔を上げた。
「仕事する意味がわかんないし、金あるし、帰ります」
 と、腰を45度に曲げ、深々と頭を下げた…。
「できんじゃん!」
 女性社員が声を上げた。そのトーンが明るく聞こえて、旺次郎は思わず顔を上げた。
「きれいにお辞儀できてる。今の体制を覚えておいてください。朝、社長に会ったとき、社内で上司に会った時、取引先に会った時…今のようにしてください。」
「はっ、なめてんのかよ、俺だってそのくらいできるよ。」
 旺次郎は女性社員に馬鹿にされたと思い、また、肩を上げポケットに手を入れた…。
「…なめてんのは、どっちだよ!」
 女性社員が声を荒げた。それは防音室に響き、旺次郎はヴォン、ヴォン…耳の中で反響して聞こえづらい。しかも、首をすくめて…少し、震えてしまった。
「今、君は会社の先輩に仕事のノウハウを教えてもらってるんだよ!」
「だから、やめるって…」
 小刻みに震えながら、目を潤ませて女性社員を見上げた。
「勝手なこと言ってんじゃねぇよ。そのまま家に帰って、お母さんに甘えるつもりですか?社長と上司が怖いから仕事しないよぉって。ママぁ、お小遣いちょうだ~い、ご飯食べる~って?」
 女子社員がきれいな顔を歪ませて旺次郎へ詰め寄る。
「だっせぇ男だな、男?いや、子供だ。はあ?そんなのがなんでここにいるのよ。ねぇ、わかる?君が何かしたら会社の信用がた落ちなの。」
「やめるんだって!…」
「お父様と社長の立場を、ここで必死に働いてる社員たちの気持ちを考えなさい!」
「俺、関係ないもん…」
 旺次郎は泣き出しそうだ。なんで、こんな女にいじめられなきゃいけないんだよ。増々仕事をする意味がわからない。なんだ、この女偉そうに…。
「…マジ、むかつく…」
 女性社員が拳を握って睨みつけたので、旺次郎は慌てて腰が引けた。
 「簡単にやめるとか言いやがって!ここにいるってことが、どれほどすごい事かわからないわけ?しかも、なんだこの女って馬鹿にしてますよね?」
「え…いや…」
 え?あれ、声出てたかな…。
 旺次郎は、またすぐに違うと言えず戸惑ってしまった。女性社員は、旺次郎が抵抗する間もなく、素早い動きで旺次郎の胸元を掴んだ。
 え?え?マジで…こんなことすんのかよ、女のくせに…。
「女のくせにって、上に立とうとして粋がるなんてのは、中学生のガキのすることよ、覚えておきな!」
 …なん、なんだよ。
 相手の力強さにおじけづきそうになり、旺次郎は必死でこらえていた。
 あの社長とやらに殴られて蹴られた。親父に言いつけてやる。パ、パワハラとかいうヤツだろ。ちきしょっ、くそ女、こいつくらい一発ひっぱたいてから辞めてやろうか…。
「ああ、言っておきますが、私、合気道をやってきたので、力でねじ伏せようなんてくだらないことを考えても無駄です。それでも手を出してきたら、速攻で訴えますのでご承知おきください。お父様のお立場が心配ですね」
 旺次郎は、グッと息を呑みこんだ。もう、泣き出しそうだ…。
「…パットで会社を検索して、全部読んでください。会社概要、沿革、ガバナンスなど、きっと良くしらないままいらしてますよね?会議室を使用してください。貸し切りにしますので。」
 と、彼女は、さっとドアを開け、小さく顔を動かして旺次郎を促した。フルフルと小さく首を振り抵抗するが、きれいな目がぎろりと睨んだので、口を尖らせて部屋を出る。何人かの社員だろうか、ノートパソコンを開きながら、ちらりと旺次郎たちに目を向けている。
「こちらの部屋を使ってください。」
 と、女性は別の部屋を案内する。先ほどの勢いはどこに行ったのか、とてもやさしい声で、とてもにこやかな顔で旺次郎に言った。さっきと違うじゃん、とか、言ってみようかと思ったが、周りの人間の目が気になって、静かに女性の後に続いた。彼女が悪く言われたら可哀そうだしな、と、一瞬思ったからだ。
 どうせやめるんだし、俺はどう思われても良いけど…。この人、会社のこと好きみたいだし、しょうがない、黙っててやろう。
 彼女の後姿を見ながら、髪の毛がサラサラだなとか、大人しくしてればきれいなのに、と、どうでも良いことを考えて、現実逃避した。今、我慢すればすぐに終わるんだ、今だけ、そう言い聞かせた。
 会議室という机と椅子が置かれた部屋に通され、コーヒーなどは自由に、部屋を出る時は専用のカードを必ず持って出ろと言われ、首からIDカードの入ったリードをかけられた。
 しん…。
 一人部屋に残され、旺次郎は、ほう、と息を吐いた。
 何だったんだろう…。今の時間。会社って、社会人てなんだ…。
 友達はできなかったけど、大人たちにはちやほやされてきた。近所の人、父親の関係者、母親の友人…みんな自分のことを褒めてくれたし、欲しいものも言えばくれたし、先生なんかはテストの問題をこっそり教えてくれたりしたし…。ああ、やっぱり、これからも親に頼れば楽で良いのに。
 やめてやる…。帰ったら絶対父ちゃんに言ってやる。こんなやべぇところ居られるか…。

 思いながらホームページを読んだ。
 が、ほとんど意味がわからないし、横文字が多くて理解できない。漢字も多いし…。だから、一体なにをすれば金が儲かるんだよ。そこを教えてくれれば良いのに…。お客様のニーズだの、環境だの安心快適…。
 当たり前のことじゃん。家を売ってんだろ?相手が欲しいって言った家を探して、ここが良いですよって教えてやるんだろ?
 当たり前じゃん。安全じゃない家とか売ったら良くないだろ。
 まあ、景色が良いマンションが人気なのはわかるよ。
 都内だと、隣の家が窓開けてすぐってこともあるんだろ。そんなとこよりは、高い場所で景色が良い方がいいけど。
 でも…、帰って寝るだけの場所じゃん。家にいる時間って結構短くね?そんなのに、何千万とか何億とか…。
 ああ、家族がいればいいのかな、子供がいれば家にいる時間長いのか…。
 何億のマンションより、一軒家の方が安くね?あ、場所が違うから?でも、安い方が良いだろう。仕事に行きやすい、それが理由?仕事のため?
 ふ~ん…。
 都会にアクセスが良く、通勤や生活に便利、環境も良く住みやすい街…住みやすいってなんだ…。
 旺次郎は、様々なことを考えながらページを移動する。だが、どこを見ても、どうやって仕事をするのか、役職の名前と写真はあっても、この人が一体何をしているのかが、全くわからなかった。
 こんなの読んで意味あんのか?会社の歴史知ってどうすんだ。
 まあ、いいや。とりあえず読めばいいんだろ…。

 何時間か経った頃、女性が旺次郎を呼び、社長室へ連れて行かれた。
    思ってたのと違う…。
 旺次郎は訳が分からない。さっきまでいた部屋も、ロビーも、物が何もないシンプルでおしゃれな部屋だったのに、ここは…。
「やぁ、王子さま~、たっぷり絞られたんだって~?」
 社長は、部屋の中央にあるデスクのパソコンを見ながら言った。
 大きな窓があるようだが、そこは黒い布で覆われて、隙間から明るい太陽の光がのぞき込んでいる。それほど景色が良いわけでは無いとはいえ、たぶん、位置的に最上級の場所で、日当たりも良いはずなのだが…。
 何故、覆ってしまっているのだろうか。
「まぶしいんだよ…。」
 無表情のまま伊能がつぶやいて、旺次郎は驚いた。
 俺、声に出してたかな…。
 太陽の日差しに背を向けるようにして、伊能はパソコンに向かっていた。
 社員全員に会社から支給されるパットやノートパソコンではなく、伊能の前には、3台のデスクトップのモニターが並んでいる。
 それぞれに図形やグラフ、動画サイトのニュース映像、何かの資料や英語の記事…、次々に画像が切り替わり、伊能はチラチラと3台の画面を目で追っていた。そこだけ見ればオフィスには見えるのだが…、旺次郎は、部屋をくるりと控えめに見渡した。
 壁は、赤、青、緑、黄色、そして天井はピンク…。床は、白いがマーブルの様な模様の黒が入っていて…。デスクもその模様だった。
「大理石な。知らない?」
 また、伊能が言うので、マーブル模様のことだろうと旺次郎は解釈した。
 だって…合わなくね?
 旺次郎は思う。周りの壁と、その大理石が微妙に違和感があって落ち着かない。何故かと言われるとわからないけど。
 それぞれの壁には、写真やポスターが張られ、一角に等身大の大きな鏡がある。その隣の本棚には雑誌から絵本のようなものまで並び、外国のお土産の様な置物や仮面、有名キャラクターから、どこで売ってるのかわからないような人形やおもちゃなど、とにかく一言でいえばにぎやか、というか…。 
 めちゃくちゃ、だ。
 なんだ、ここ、目がチカチカする…。
 旺次郎は瞬きを多めにしながら、くるりと部屋全体を見渡した。
 その中でひときわ目を引いたのは、あるアニメキャラクターのフィギュア。しかも、等身大の…。
 嘘だろ、こんな趣味なの?やばくね?だってこれ、あれだろ、いわゆるオタクが見るアニメのキャラ。魔法少女系?女の子どもが見るヤツ。
 何の動物なのか良くわかんねぇけど、女の子と動物組み合わせりゃ最強みたいな…。キュルキュルした目の…意外とこの人少女趣味なのか? 
 いやまて、等身大…。
 え…もしかして、これって…。
 と、目を丸くして伊能を見た。
「お前、俺を何だと思ってんだよ!夜の相手じゃねぇよ。ば~か」
 と、伊能が声を荒げたので、旺次郎はキュッと目を閉じる。だが伊能は、口元がニヤニヤと緩んでしまう。大きな鏡に映る自分の顔に、おっと…と、慌てて顔を真顔に切り替え、眉根を寄せた。
「これは、ある客が、置き場所がなくて困ってるっていうから引き受けただけだ。そのうち引き取られる。…俺が集めてんのは、あっちだ。」
 と、言いながら棚の一角を見た。旺次郎はそれに倣うと、そこには、ごちゃごちゃとたくさんのフィギュアが、ガラスケースに入れられて並んでいた。
 赤、青、黄色、緑、ピンク…時々白、黒、水色…。日曜日の朝やっている、戦隊もの、いわゆるヒーローたちのフィギュアなどだ。
 自分も見ていた記憶はあるが、見たことのない物もたくさんある。たぶん、伊能の子供の頃のものだろう。
 大きさも、30㎝くらいの物から、数センチの小さなもの、形が違うだけで同じキャラクター、古くて汚い物もあれば、箱に入って値札が貼られた物もある。

 ここ…オフィスだろ?
 たくさんのコレクションを見ながら、旺次郎は首をかしげる。周りを良く見れば、張られているポスターや、カレンダーも戦隊ものがモチーフになっていたり、誰かのサインだったりする。
 壁の色は…それに合わせたものか。
 だとしても、なんでこんなものを置くのか、旺次郎首をかしげる。
 必要ないだろう?
「…仕事ばっかりしてると、見失うんだよ。こういう場所が必要なの」
 また、伊能が言った。
「…なんで、わかるんすか?」
「何が」
「俺…何も言ってないのに、考えていることわかってるっていうか…」
「お前…顔に全部書いてあるよ?気づいてないの?」
「顔?」
 と、旺次郎は慌てて大きな鏡をのぞき込んだ。が、いつもの自分だ。そりゃそうだ、書いてあるわけないのに。口を尖らせて伊能を振り返った。
「あっはっは。馬鹿が…」
 と、言った後、伊能は目を丸くした。
「お前…すげぇな。」
「なんすか?」
「…いや、なんでもない。それで、いろんなこと教えてもらったか?あの子…松岡は強いから気をつけろよ。で?どう思ったの?」
「何がスか…」
「ここは、どういうところだよ」
「家を…売っている会社です。」
「おう…で?それについて何を思った」
 旺次郎は、悩んだ。面接なのか?
 思ったままのことを言えば良いのか、何か良いことを言えば良いのか…。 
 と、いうより良いことってなんだ?そういえば、就活でいろいろ教えてもらったけど、大体さっき見たホームページに書いてあることと一緒だった。
 それを言えば良いのかな?
「返事」
「は、ハイ…。当たり前だ、と思いました」
「…あ?」
 伊能の声が低くなって、旺次郎は肩をすくめる。
 ああ、帰りたい。早くそう言わなくちゃ、というより、もう一回怒られたら飛び出してやろう、早く怒ってくれないかな…。
「どういう意味だ」
「…ひぃ…あ、相手が、お客様が求めるものを売るのなら、安心安全なことは当たり前です。と俺は…」
「僕、または、私と言え」
「ぼ、ボクは思います。その人が住んで良くなかったってなったら問題だし、良い場所を知ってるなら教えてあげればいい。その良い場所を見つけるために、大きな会社なんす…よね?創業85年、最初は測量の会社でした。昔から知ってる場所とかがあって、グループ会社が235に増えるくらい続いてる。変な物売ったら、それで会社が終わるじゃないすか」
「…だから?」
「だ…から、お客様が欲しいと言った家や、土地?を一生懸命探して、そこに住んだらどんな風なのか考えて、住みやすいかどうか調べて、良いな、と思ったら紹介する会社です。」
「…なるほど」
「すみません。俺、やっぱり仕事無理です。帰ります」
 と、突然、旺次郎は腰を45度に曲げ、そのまま部屋の入口へ走った。が、スーツの首元を伊能に掴まれ、猫のように引き戻される。
「や、やだ、やめます。帰ります!父ちゃんに怒られても良いっす、ごめんなさい、離してくれ…」
「暴れてんじゃねぇよ…」
 旺次郎は部屋の真ん中に投げ捨てられ、腰の上に伊能が乗っかった。
 ひえぇ…。
「もうやだ!俺…ぼ、僕か。無理だって無理です!殺される…」
「おい、この会社の設立は何年だ。」
「へ?…え、え…っと、昭和〇年っす…」
「最初の会社の名前は?」
「五木測量株式会社?」
「…最初の社長の名前は」
「五木清五郎。8人兄弟の5番目だから清五郎っす。一番上の五木清だけ数字がありません。その人は、林業をやってました。のち清五郎の土地開発にも尽力を尽くし、小さな測量会社を大きくしただけでなく…」
「おいおい…お前、丸暗記したのか?」
「見ました。」
「あと、何思ったんだよ」
「…誰が何の役職なのかが書いてあって…。でも、その役職って何をするのか、この人は一体会社で何をしてるのか、全然わかりません」
「…お客様には関係ないだろうからね」
「じゃあ…あのホームページって何のためにあるんすか?」
「うちがどういう会社なのか説明するためだろうよ」
「だって…会社の歴史、どうでも良くね?俺だったら、どうしてこの土地がこんなに高いのか、安くていい場所がどこなのかの方が知りたいっすよ。」
 あっはっは…。
 伊能が腰を逸らせて大笑いしたので、旺次郎は少しほっとした
「あ…んな、取締役とか執行役とか、執行役ってなんスか?そいつの学歴とかどうでも良いし、誰でも良い。何をしたら金が儲かるのか、そういうの書いておいて欲しいっす」
 と、勢いのまま付け足すと伊能はふっと動きを止め、旺次郎を見下ろした。その目に旺次郎は、ぶるる、と身体が震え、その瞬間、ぺらぺらしゃべったことを後悔する。
 ああ…調子に乗った…。 
「そんなもん、皆様にお知らせするわけないだろうよ…。」
「なんで?…デスか。だってそうすれば、もっとみんな、楽じゃないすか」
「楽?楽なんかさせるかよ。こっちは必死で勉強してきてんだ、簡単に手の内を見せるわけないだろ?お客様には関係ございませんからね…」
「良くわかんねぇっす。じゃあ、なんで働くんすか?お客さまのためにって書いてある…」
「それを、お前は学ぶんだよ…。」
 伊能は、色のついた眼鏡の奥から、ぎろり、と旺次郎を睨んだ。
「良いか?わざわざ、俺の下につかせてやったんだ。」
「いや、もう、やめるって…」
「馬鹿が!そんな簡単に逃げられるわけないだろうよ。だって俺、お前のこと気にいっちゃたんだも~ん」
 伊能は、ふざけるように笑った顔を作ったが、色のついた眼鏡の奥の目は一つも笑っていなかった。それは、まるで獲物を見つけた獣のような…。
 終わった…。こういうのなんて言うんだっけ、蛇に睨まれたカエル…?蛇に飲み込まれただっけ?それじゃもう終わってんじゃん、でも、睨んだだけなら大したことないしな…。
 旺次郎は、どうでも良いことを考えながら、目を閉じた。絶望で、もしかしたら体が灰色になっているかもしれない。床の大理石の冷たさが背中に伝わってきた。全身に変な汗をかいていて、それが徐々に冷えてくる。
 そうか、俺…。ここで死ぬのか…。
 抵抗する力もなくなり、全身を床に預けた。伊能は、そんな旺次郎を見下ろし、唇の片方を微妙に持ち上げ、ふっ、と息を吐いた。
 ふと、天を仰ぎ見ると、誰かの足があった。それは、等身大のアニメキャラクターの足だ。旺次郎は、股下からのぞき込む形だ。
 あ…ちょっとラッキーかも。
 旺次郎は意識をそこに向ける。じゃないとパニックになりそうだから。だが、良く見るとそのフィギュアはジーンズのようなパンツスタイルで…。
 さっきのあの子か…。でもああいう女の子って普通、ミニスカートなんじゃないかな…。
 と、また変なことを思ったりした。せっかく、股の下から覗けたのに、ジーンズじゃ色気ねぇよなぁ…。と。
 そうでもしないと泣きそうだった。
 でも、くやしいから泣かない。男だから、泣いちゃダメなんだ…。
 必死に自分に言い聞かせて、何とか自分を保っていた。
「私におまかせください、と、お父様に連絡しておきますよ…」
 伊能は、スマホを取り出し操作しはじめた。
 …明日、おなか痛いから休むって、母ちゃんに言おうかな、でも今日、ごちそう作って待ってるって言ってたし、心配かけたくねぇし…。
 絶望の中、フィギュアを眺めていると、その子の頭には、ウサギの耳が生えていた。人間とは少し違う形のその子は、キュルキュルの目でどこかを見つめ、とても爽やかな顔で微笑んでいた。

                       「クリーム」に続く


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