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世の中を回しているのは「熱」である!?

先日、批評家の若松英輔さんの講座を受講しました。高橋巌「シュタイナー教育の方法」を読むというものです。その際に学んだことをベースにエッセイを書いてみました。「熱感覚」「世に潜む叡知」「秩序を育む数学」「犠牲(献身)」がキーワードです。

母の涙


高3の息子は遠い地の大学進学を目指している。うまくいけば、春からは一人暮らしか。見送る寂しさを想うとき、わが母の涙を思い出す。母が私を見送るときに流した涙を。母の想いは、今、私の心に「熱」となって甦る。

あいさつって数学的!?


あいさつとは不思議なものだ。10デシベルで「おはよう」と言われれば、10デシベルで返してしまう。5デシベルでしか返さなければ、さらに5デシベルの「どうした?」が返ってくる。実に数学的だ。しかし、「どうした?」の後には、数学では表せない「熱」が心に残る。

責任という言葉は「冷たい」


責任とは何か。英語でresponsibility。応答可能性。100に対して、100の応答をするということか。あのときの母に、「泣いてくれてありがとう。僕は大丈夫だから、心配しないで。」「はい、あなたの涙に対して返答したから、貸し借りなしね。」ということか。貸し借りなしは、いかにも悲しいし、冷たい

「熱」とは何か? 


わたしは責任の外側にある、あるいは数学の外側にある「熱」によって生かされているのではないか。つまり「熱」は、その場では応答不可能な浮遊物として、世の中に漂い、時を経て、不意に私の前に現れる。

「熱」を観よう! 


自己責任論に押され、「熱」が見えなくなっていないか。目を凝らせば「熱」はそこかしこにあるはずなのに。「熱」は、それを観ようとする人の前に現れて、その心を温めてくれるのに。

この「熱」を放置していることが、地球温暖化の原因ではないか、とすら思えてしまう。わたしは「熱」を観、「熱」を受け取りたい。

最期まで読んできただきありがとうございました。
気になることがあったら、ぜひコメントください!


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