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【わ、和田ァ…】カラオケ行こ!【映画感想】

近所の映画館にて鑑賞。
脚本が野木さんなので基本的には何の心配もしていませんでしたが、キャッチコピーの「青春も延長できたらいいのに」を見たときに、そういう話だったかな?と一抹の不安を覚えました。
が、映画を見て、これは確かに青春映画だ!と思いました。うまくそこに着地させたというか。
というか、和田くんですよ、和田くん…。そして、映画を見る部の子!

※以下、読み返すと、ほぼ和田くんと映画を見る部の子の話をしています。狂児と聡実の話を読みたい人は他をあたってください。
※書き手は、原作者様と脚本家様のファンです。


そもそも「合唱部の中学生にヤクザが歌を習う」という設定からしておかしいので、漫画では原作のその他のおかしなところもあまり気にせずに物語を読めましたが、ところどころ、そこはどうなの?という部分が多くある作品でもありました。合唱部の部長、しかも一番上まで制服のシャツのボタンをしっかり止める系の真面目男子に遠足(いちご狩り)をサボらせたり、その彼が3年間の情熱を注いだ最後のコンクールを無断欠席したり──この辺りの補完を、映画ではかなり丁寧に掘り下げ、違和感がないように仕上げていたと思います。でも、私は原作にあったいちご狩りをサボらせてごめんねって意味で、雑にいちご一箱を買ってから家へ送る狂児のことも大好きです。
実写化となると、どうしてもそのあたりの細かな流れをリアル寄りに処理しないといけないのですが、その匙加減が非常に絶妙で。
特に、映画オリジナルであった映画部のエピソードは、本当に素晴らしい。彼と、和田くんの対比が、ほんとうによかった。。。
原作ではのぺっとした後輩の和田くんでしたが、映画ではかなり改変され、合唱に熱い想いを託す少年になっていました。その上で、この中学校が合唱コンクールでは上位常連校であり、それは産休に入る前の教員の指導によるところが大きく、金賞を逃した現在はその教師が不在であること、までが、さらっと差し込まれます。和田くんは「合唱部の強豪校」であることに自負心を持ち、先生にも他の部員にももっとちゃんとやってほしい、という気持ちが強いのです。だから、真面目にやってないように見える聡実に当たり散らす。
ただ、彼の変声期という事情は、教師側はもちろん、女子部員たちは何となく察していたように思います。和田くんが最後までその辺の事情に疎かったことを思うと、教員が全体に流布したのではなく、個々の間でそれとなく匂わせたか、自分たちで気付いたのか──。このくらいの年齢だと、精神年齢も女子の方が圧倒的に上、生理や胸の膨らみというものがある分、男子よりも成長期による体の変化には敏感です。和田くんは聡実の代打ができるほどのソプラノボイスの持ち主ですから、当然、そういった身体の変化を自身は経験していないでしょう。このすれ違いが、ドラマの作りとして本当に見事。だから、副部長の中川さんは両方の舵取りを背負わされるという…。
そんな和田くんの成長のきっかけというか、気付きの場面が、あの映画部にあったのだと思います。
部員のほとんどが兼部の幽霊部員で構成され、きちんと活動しているのは実質、3年生1人のみ。ただただ古い映画を上映するだけの、だらっとした部活──に、ガチな合唱部の和田から見たら、思ったことでしょう。
しかし、「巻き戻せない映画」「亡き顧問の遺品としての部室」という情報が開示されたとき、部室内に貼られた「上映中のスマホ禁止」の張り紙と共に、真剣に画面を食い入るように見ていた映画部のあの子(名前、失念。あったっけ!?)の思い──というほどの深さはなくても、彼があの場所の、あの時間を、あの空間を非常に大切にしていることが、一瞬にして伝わるのです。そして、それこそが、おそらく「部活動」の正体そのもの。
和田くんは「映画」と「動画」の区別もついていません。きっと巻き戻し不可能な、一回限りの「映画」というものも体験したことはない。
しかし、この「巻き戻し不可能な、一回限りの映画」は、まさにキャッチコピーにあった「青春」そのものなのです。
全国を目指して必死に練習するような部活で頑張ることも、学校の忘れ去られたような一室でたった一人で映画を見続けることも、──そして、ヤクザの変なイベントに巻き込まれて、その追悼に「紅」を熱唱し、変声期最後の美声を失うことも、すべて一回性の、その時だけに成し得る「青春」なのです。
──ここで、ようやく主役たちの話に戻りますが。
この映画が「青春映画」となったのは、主人公を「岡 聡実」に集約し、彼の成長物語、その一端に「成田 狂児」を置いたことにあります。
原作が「BL」というカテゴリなので、彼らの関係性にのみ焦点が置かれていますが、映画はそこを超え、合唱部や映画部との絡みを描いています。
映画の聡実は、最後の大会を目前に控え、変声期によって上手く歌えないという悩みを抱いています。部長ということで、歌のうまさには自信があっただろうし、努力もしてきただろうし、そこを見込まれて狂児に目をつけられたわけで。だから、彼は直面した問題から逃げ続けます。その逃げ場の一つが、狂児であった。映画部であった。
そんな彼が、最後の大会の日の朝、「行かない」と部屋で寝ていた、のをやめて、やっぱり行くと立ち上がる。「上手く歌えなくてもいいから」という気持ちに至る。
そこには、清濁合わせてこの世を生き抜くヤクザとの関わりも大きく影響したことでしょう。
そして、その途中で事故を目撃して──原作では、そのままヤクザの宴会に乗り込むのですが、映画ではちゃんと会場まで行き、自分の口で「歌えません」と、告げます。これ、すごく嬉しかったです。この子は無し崩しに3年間やってきたことを捨てたのではない、自分の意志で「歌わない」と決めたのだ、と。
そして、狂児への鎮魂歌に、「紅」を歌う──。
大会でなくても、それが最後の、変声期前の声を出し切ることになっても、この歌にすべてを賭ける。まさに、全力の「追悼」。
ここのシーン、歌いながら声が掠れる聡実くんに対して、ヤクザたちが「変声期か?」ってめっちゃ繊細なとこに気付くの、面白すぎなんですよねぇ…。

というわけで、もう一度、聡実くんの絶唱「紅」を聞きたいから、映画に行きたいです。

余談ですが、昨今の合唱曲、J-POPアレンジも盛んで、それなりの流行り曲も多くあるのですが、まさか「紅」の合唱曲バージョンまで出るとは、X JAPAN本人たちも思ってなかったでしょうねぇ…。ED含め、必聴です。

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