H29.12.6受信料最高裁判決批判(5)

3知る権利について

 最高裁は、「放送は、憲法21条が規定する表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである。」とした上で、どのような放送制度を採用するのかは立法裁量であり、公共放送事業者と民間放送事業者との二本立て体制を採用した以上、このような制度の枠を離れて、受信設備を用いて放送を視聴する自由が憲法上保障されていると解することはできないとする。つまり、最高裁は、「NHKの放送を必要とせず民放だけを受信したい者」の知る権利を、「合理的な制度」をもって、認めないというのである。
 
 最高裁は、このような制約を合理的としながら、知る権利について、その内容を示していない。このことについて、岡部裁判官は補足意見で、被告が、知る権利を明確に主張しなかったからとしているが、知る権利を明確にすることなく、その制約を論じることはできないはずである。
 
 岡部裁判官は「憲法は表現の自由の派生原理として情報摂取の自由を認めている(最高裁昭和63年(オ)第436号平成元年3月8日大法廷判決・民集43巻2号89頁参照)。情報摂取の自由には、情報を摂取しない自由(情報を摂取することを強制されない自由)を含むものと解することができる。」として、「被告は、このような情報摂取の自由について明確に主張するものではなく、多数意見もこれに触れるものではないが、放送法64条1項は、原告の放送の視聴を強制しているわけではないとはいえ、受信することができる地位にあることをもって経済的負担を及ぼすことになる点で、上記のような情報摂取の自由に対する制約と見る余地もある。」としながら、多数意見と同じ理由で、その制約は合理的であるとして、一見、憲法論に踏み込んでいるようであるが、結局は、多数意見と同じく、知る権利が人権であることがまったく考慮されていない。それに被告は、「情報を摂取することを強制されない自由」ではなく、「契約強制によって、経済的負担なしに民放の情報を摂取する自由」を知る権利として主張していることも誤解しているようである。
 
 岡部裁判官の参照している判例は、いわゆる法廷メモ採取不許可国家賠償請求事件の「憲法21条1項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であつて、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁参照)。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)一九条二項の規定も、同様の趣旨にほかならない。」という部分であるが、さらに遡れば、その中で参照されている、いわゆる、よど号新聞記事抹消事件である。そこでは、「それゆえ、これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法19条の規定や、表現の自由を保障した憲法21条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法13条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。」と、派生源として憲法21条のほか、憲法13条および19条も明示されており、人権であることが明確である。
 
 知る権利については、昭和44年11月26日、最高裁が取材フイルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告(最大決刑集23巻11号1490頁)において言及して以降、教科書等でも目にするようになり、その後の事件でも国家機関に対して情報開示を求める権利を含めて「知る権利」、「知る自由」等と用語は統一されないまま用いられるようになったが、本件における「情報摂取の自由」と性質を同じくするものとして言及されているものは多くない。「知る権利」や「知る自由」、および制約原理としての公共の福祉に言及しているのを時系列に沿って並べると、①昭和44年10月15日、猥褻文書販売および所持が争われた裁判の田中裁判官反対意見(最大判刑集23巻10号1239頁)、②昭和58年6月22日、よど号新聞記事抹消事件の多数意見(最大判民集37巻5号793頁)、③昭和59年12月12日、輸入手続において税関職員が行う検査による輸入禁制品該当通知処分等取消事件(最大判民集38巻12号1308頁、同日集民143号305頁)の多数意見、④平成元年3月8日、法廷メモ採取不許可国家賠償請求事件(最大判民集43巻2号89頁)の多数意見、⑤平成元年9月19日、岐阜県青少年保護育成条例違反(最判刑集43巻8号785頁)の伊藤裁判官補足意見くらいである。
 
 それぞれの事件における知る権利の制約原理を見ると、①は、いわゆる人権の内在的制約説に基づき「この限界を超えて、『公共の福祉』の要請に基づくというような名目のもとに、立法政策的ないし行政政策的見地から、外来的な制限を課することを目的とする法律の規定やその執行としての処分のごときは、憲法の保障するこれらの自由に対する侵害として許されないところというべきである。」とし、②は、未決勾留者は、「原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものであ」り、「制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきもの」とし、③は、②を参照し、「知る自由」と「知る権利」といわゆる「情報収集の自由」が同一の意味で用いられていることが明らかになっただけであるが、藤崎裁判官の意見で知る自由は、「二次的」なものと位置づけられ、「かかる自由に対する制限は発表の自由に対する制限と同程度に厳しく抑制されなければならないものではないであろう。」とし、④は、知る権利に言及はしているが、適正な裁判の実現のためには、傍聴それ自体をも制限することができることを示し、「傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでない」が、「傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。」とし、さらに、四ツ谷巌裁判官の意見では「傍聴人は、法廷においてメモを禁止されても、そこにおける五官の作用によつての情報等の摂取それ自体は、何ら妨げられていない」とし、⑤は、伊藤正己裁判官が補足意見で、「西ドイツ基本法5条2項の規定は、表現の自由、知る権利について、少年保護のための法律によって制限されることを明文で認めており、いわゆる『法律の留保』を承認していると解される。日本国憲法のもとでは、これと同日に論ずることはできないから、法令をもってする青少年保護のための表現の自由、知る自由の制約を直ちに合憲的な規制として承認することはできないが、現代における社会の共通の認識からみて、青少年保護のために有害図書に接する青少年の自由を制限することは、右にみた相当の蓋然性の要件をみたすものといってよいであろう。問題は、本件条例の採用する手段方法が憲法上許される必要な限度をこえるかどうかである。」、「もし成人を含めて知る自由を本件条例のような態様方法によって制限するとすれば、憲法上の厳格な判断基準が適用される結果違憲とされることを免れないと思われる。そして、たとえ青少年の知る自由を制限することを目的とするものであっても、その規制の実質的な効果が成人の知る自由を全く封殺するような場合には、同じような判断を受けざるをえないであろう。」としている。
 
 これら先例を見るに、受信契約を合法的に回避すると、一般に近づくことのできる民放の情報を摂取することができなくなることと比較しうるものはない。犯罪によるもの、国家の管理する施設の秩序維持によるもの、青少年の保護によるものであって、秩序を乱すわけでも、危険を生じさせるものでもない民放の受信を制約する根拠として参考にはできない。むしろ、先例よりも、違憲性の判断にあたって「厳格な基準」が求められるレベルである。岡部裁判官補足意見は、過去の判例をもとに、知る権利を人権と位置づけながらも、その制約原理については多数意見を繰り返しただけであって、より多数意見の不備を補足しただけである。
 
 知る権利を人権と見ているのであれば、その制約は、必要最小限度であることが求められる。少なくとも、そのことは憲法判断をする者や憲法学者はそれを否定しないはずである。本判決の人権を制約する原理、すなわち、知る権利を制約する正当性の根拠を見ると、「国民の知る権利を実質的に充足し健全な民主主義の発達に寄与することを究極的な目的」としているからということになるが、受信料制度の直接の目的はNHKの維持運営にあることは明らかである。最高裁の言うところは、受信料を支払っている者の知る権利を充足するものでしかなく、「NHKの放送を必要とせず民放だけを受信したい者」や、受信料の減免を受けられる程ではないが経済的に困窮している者の知る権利には無関心なのである。

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