『伝える』という執念に思うこと
誤った医療情報に対して、今現在最適とされる正しい医療情報を伝えようとする活動が芽吹き花開こうとしている。
医療従事者が積極的に情報発信し、さらに自治体やメディアと連携して多面的展開を模索する。
横浜市とオズマピーアール、コミチ、Medical Note、SNS医療のカタチが先日開催した『医療マンガ大賞』はその一歩として大きな意義があると思う。
詳しくは僕が尊敬してやまないヤンデル先生(市原 真医師)がアフタートークイベントのリポートを徐々に更新していかれるのでご参照を。
SNSを活用する医師の中でも異彩を放つヤンデル先生に注目したのはもう何年前になるだろうか?
まだ『灼熱病理検査室』の頃で病理医の広報を自認し「病理医とは何か」について熱心に語り続けていた。
最初は“シモネタ連発の面白い医師アカウント”ということでフォローしたのだが、すぐに『この人はとんでもなく優秀な人だ』という認識に変わっていく。
ヤンデル先生のひとつひとつの言動には必ず意図するところがある。
あるときは表舞台で聴衆を釘付けにし、あるときは道化役を引き受け、またあるときはハブとして振る舞い裏方に徹する。
執念にも似た想いが漏れ出てくる。
その根源にあるものを垣間見ることはあっても、すべてを知ることはたぶん今の僕には不可能だろう。
ただ深淵の縁から覗き込むだけでも居住まいを正したくなる。
まてまて。
このままだと「ヤンデル先生概論」になりそうなので本題に戻ろう。
人は何かを他人に伝えたいと思った時、言葉や文字、画像や映像にして伝える。
だが、受け手のアンテナがこちらを向いていないとキャッチしてもらえない。
キャッチしたい人だけを対象とするのならば特定の周波数で送り出せばよいが、医療についてはできる限り広域であらゆる人に受信してもらいたい。
でも、そこにはアンテナがこちらを向いていない人だけでなく、偏った周波数しか受信しない人、アンテナ自体持たない人たちがいるのだ。
さて、世の中には『伝わらない』責任を受け手に転嫁する人もいる。
たしかに聞く耳持たない人というのはどこにでもいる。
耳を塞いでいる人に理解してもらおうとするのはかなりの労力を要する。
しかし、医療については人の生き死にが直結するため「聞きたい人だけ聞いてくださ~い」というわけにはいかない。
選択科目ではない。
必修科目なのだ。
聞く気がない、聞きたくないという人に『伝える』のは困難を極める。
丁寧に根気強く、様々な手段や言い換えをしなければならない。
理由は人それぞれ千差万別なので、送り手はあの手この手と多くの周波数で発信する必要がある。
言葉を変え、表情を変え、トーンを変え、身振り手振りを変える。
ベクトルを同じくする医療従事者を巻き込み、メディアや自治体も巻き込む。
本も出版し、SNSもブログもポッドキャストだって利用する。
それでも聞かない人は聞かない。
そして誤った情報に翻弄され、本来なら選択して欲しい治療法を見逃していく。
「そこまでする必要はあるのか?」と思う人も少なくはないだろう。
僕自身も本当に100%の人に情報を届けられるとは思ってはいない。
だが、工夫を積み重ねて現状より1%でも多くの人に正しい情報を届けたいと願う発信者たちは、休日を潰して各地を飛び回りイベントや公演に奔走する。
知らない人も多いかもしれないが、ゆうに3時間を超えるイベントの参加費が2000円とか3000円で開かれている。
利益なんか出るわけがない。
交通費や宿泊費は大丈夫なのかと心配になってしまう。
使命感という言葉で簡単に済ませたくはないが、まさにこの一点で発信者たちは今日も各地で情報を送り出している。
『伝わらない』人たちにどうやって『伝える』かを悩み、工夫し、試し、喜びと反省を糧に動き続ける。
残念ながら医療従事者ではない僕には病を得てしまった人に直接できることはない。
ただ前回のコラムでも書いた通り、その時々の正しい医療情報を伝え『生きるため』の準備のお手伝いし続けることにはこだわりたい。
執念を感じさせるほど自らがやりたい、やるべきと信じる仕事に真っ向勝負を挑む人たちのほんの一端にでも関わっていたいと思う。