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「濃く、苦く、深く~丸福珈琲店小史」2

大阪の恩人への義理と苦渋の決断

 幼なじみの親友に、線香をあげた貞雄氏の胸中はいかばかりだったろうか。彼は墓参のために大阪に帰ってきていた。わざわざ手紙で訃報を知らせてくれたのが、他ならぬ大阪での修業時代を過ごした割烹の女将であってみれば、なおさら来ない理由はどこにもなかった。しかし、親友に別れを告げたあと、彼はことの真意を知る。

 義理堅い貞雄氏の性格を熟知してのことだったのか、女将は「一人息子を失って寂しい…東京も大阪も商売に違いはないから、家へ来てくれないか」と切り出した。突然、幼なじみの死を目にしたところに、あまりに突拍子もない話に耳を疑っただろう。すでに東京に店を開いて2年。これから本格的に新天地で歩みだそうとする彼の心中は、さらに混乱したに違いない。困惑しつつも、「もう東京で始めたから…」と固辞する貞雄氏と、心の空白を隠せない女将。その場の張りつめた空気は、想像に難くない。だが、ここでは貞雄氏の分が悪かった。大阪での育て親にして、親友の母の頼みである。板挟みの葛藤の末に彼の出した答は、女将の期待を裏切らなかった。なお伊夫人を説得し、苦労の結晶である店を畳んで大阪へ戻ったのは、1932年(昭和8年)のこと。義理とはいえ苦渋の決断。これが英断だったと思えるようになるのはまだ先の話である。

 この時に貞雄氏は、女将がもはや一介の割烹店主でなくなったことを知る。2人が身を寄せたのは、玉出(現・西成区玉出)にあった「お屋敷」と呼べるほどの大きな住まいだった。お手伝いが立働き、屋敷内にはビリヤード台さえあり、彼女はそこの女主人となっていた。貞雄氏の長女・英子氏によれば、彼女は「ごりょんさん」と呼ばれていたという*1。「映画女優にしてもいいくらいの物凄い美人で、歌沢*2の名取やった。芸妓さんのあがりかな? 踊りも踊れるしね。家にいる時はシャンとして、座ったら絶対動かない。もう顎で人を使うから。周りは皆、ごりょんさん、ごりょんさんいうて」。

 この記憶を頼るなら、女将はどう見ても堅気の世界の住人ではないが、これだけでは彼女の突然の変貌は説明がつかない。しかし、英子氏によると、この屋敷にはサムハラ神社を祀る立派な神棚を設えた部屋があり、度々その創始者と思しき人物が出入りしていたそうで、女将もその人物にだけは上座を譲ったという。彼女の記憶に間違いなければ、「サムハラ」は昭和初期に大阪の万年筆会社の社長が興した新宗教で、社長と目される人物と懇ろな関係にあった考えれば、話のつじつまは合う*3。さらに話によれば、女将は初代桂春団治を「おい」と呼ぶ扱いだったというから、芸の道においても只者ではなかったようだ。

無為の1年を経て踏み出した「丸福」の第一歩

 ところで、このいささか浮世離れした屋敷で貞雄氏はどうしていたかというと、何をするわけでもなかった。確かにこの財力を持ってすれば、生活の心配など何ら必要ない。この状況は何のあてもなく店をやめた彼にとってしばらくは幸いした。ただ、請われて戻ってきたものの、何をしたらいいのか分からないまま無為に日々は過ぎていく。遊んでいるわけにもいかず、知り合いの伝手で南海電鉄の購買部に手伝いに出ていた。そうこうしているうちに1年が経ち、店を売った金も底をつき、子供(=英子氏)も生まれたことで、なお伊夫人も居候生活に気兼ねと嫌気を抱き始めていた。

 くすぶっていた貞雄氏も、ようやく本格的に商売の再開に動き出す。例によって、思い立ったら即行動。物件を貸し渋る大家に、しつこく食い下がって借りることになったのが、女将の屋敷にも近い今池町(現・西成区太子町)の店鋪だった。 目星をつけた場所が、やはり商売人である。そこは戦前、日本最大級の遊廓だった飛田新地(大正7年開業)の正門近くで、当時最先端の盛り場・新世界にも歩いて数分。繁華街をつなぐ通り沿いは、店には絶好の立地だった。空白の日々から急展開で始まった、小さな店の名は「丸福商店」。この場所こそ、正しく「大阪の丸福」の生地であり、長い歴史の出発点にようやく立ったのである。 (つづく)

*1ゴリョンサン【名】:商家の奥様、御料人様の略。御寮人様とも書く。 堀井令以知『大阪ことば辞典』(東京堂出版・1995)
*2歌沢:江戸末期に大流行した端唄を技巧的に洗練させた三味線音楽。渋味のあるゆったりとした音曲。(『旺文社 国語辞典』)
*3サムハラ信光教は、大阪の万年筆会社・大元堂社長の田中富三郎氏によって、昭和7年に興された。また、日本初の万年筆(プッシュ万年筆)の発明者でもある。彼は女将の割烹の常連で、修行時代の貞雄氏の発明癖を嗜めたのが氏であるという。英子氏の記憶を補足するなら、彼女が特許局員と思っていたのは、むしろ特許取得者(発明者)となる。

(『甘苦一滴』2号から一部改稿)

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