【自分用】三島由紀夫 虚無の光と闇【メモです】
新年明けましておめでとう、人間!元気か!?私はそうでもない。ストレスフル・エブリデイ、ベリーヤク中(胃薬)。ですがこの前我が家にIKEAのサメがやって参りまして毎日楽しく生活しております。名前は「サメ」です。とてもかわいいしお腹が白くてふかふかしています。うちのうさぎもお腹が白くてふかふかしているので最高ですね。
最近は沢山ボーイズラブ小説を読みました。そのうち報告しておきます。
本日は4400字くらいゆきりんへの感情文ではなく、自ツイートの再放送です。「三島由紀夫 虚無の光と闇」(井上隆史)です。井上先生に関しては今まで何か話した気がします。ゆきりん推しの人です。
超絶要約なので、実際の文章はご自分で確認して下さい。この要約についてのみ私は責任を持ちます。
井上先生のゆきりんの同性愛観についてメモ
・同性愛は秩序として機能する
・仮面の告白にあって、それ以前にはない
・ゆきりんにとって同性愛は精神的危機の原因ではなく、むしろアイデンティティの拠点を与えた自己救済概念
・仮面の告白以前にもゆきりんは性の対象として男を選ぼうとし、実際に関係を持ったこともある
・上のことがらがあまねが言う「ゆきりん」もしくは「『ゆきりん』」と意識的に規定し「公威」を同性愛者として秩序つけたのは別のことがら
・式場さんへの手紙でゆきりんは同性愛を「sexual inversion」と表現
・ゆきりん「エリス(性解放論者のダチ)の本に出てくる事例は大体頭のいい人たちの話だから自分の考えていることはイカす。自尊心が満足した」
・ゆきりん「正常な方向への肉体的無能力についてより多く悩んでをりました」
・ゆきりん「自分の本来の性的傾向より女性に対して不能なのが悩ましい」井上せんせ〜「その悩みを解決したいというゆきりんの言葉に偽りはないだろう」
・ゆきりん「その悩みの解決には告白が有効」=「公威」の作品を一定の「秩序」によって書き直そうとする行為
・ゆきりんはエリスやコクトーで同性愛を意識的に学習した
・猪瀬さん「ゆきりんはこの頃心理学者の望月衛から同性愛について話を聞いた。仮面の告白に出てくるヒルシュフェルト(同性愛者の権利を擁護した人)についても望月さんがゆきりんに教えたかもね」
井上先生の仮面の告白とゆきりんについてメモ
・会計日記(ゆきりんの昼寝メモ)を書き終えた翌年昭和23年「秩序」によって「公威」の文章を再構成するゆきりん、長編書きたい欲が芽生える→その年の8月に河出の編集に誘われて、せっかくなので大蔵省を辞職
・11月25日を仮面の告白起筆日とする
・仮面の告白とはゆきりんにとって精神的危機を乗り越える為の手段
・仮面の告白の終わりの虚無→「私」は精神的危機を乗り越えられない
・仮面の告白を書いたゆきりん→死の領域に住んでいた自分がそこに残した遺書、つまり仮面の告白とは自殺。つまり自殺を逆再生すると生の回復になるよね
(※自感想)
なるほど、「私」は死んだままだったけど、ゆきりんにとっては「公威」→(死に向かう)→仮面の告白という秩序の習得による精神的危機を回復→(生の回復)→「ゆきりん」だから理屈は通ってるな。意味わからんけど。
上で言いたいのは「公威」→仮面の告白を書いているゆきりん――が自殺の過程で、仮面の告白を書いているゆきりん→「(仮面の告白を書き終わった)ゆきりん」――が生命を回復したゆきりんってことです。
・でも所詮「私」とは「『ゆきりん』」を映したものだから、ゆきりんは本当に自分を見つめ直す為には同性愛と同レベルでサドマゾ衝動や孤独感や空白について見つめ直すことを秩序化してもいいのでは
・つまりゆきりんの精神的危機とは邦子さんとの破局や女性への不能、そして同性愛だけのものではない
・サドマゾについては若いゆきりんには扱いきれなかった
・孤独や空白は突き詰めればニヒリズム(ゆきりんによく言われることだね)に繋がるけど、それを追究するのは辛いと思った
・つまり仮面の告白とは同性愛という仮面によって本質的なサドマゾやニヒリズムへの問題を逸らした。多分ゆきりんも自覚
ゆきりんは14歳くらいのときめっちゃエログロSMっぽい小説を書いていたそうです。リアル中二か……。
まとめ
・ゆきりん、ファッションゲイでは?
・それも昭和ならではだよね
大したこと書いてなくて申し訳ないですね。
100円コーヒーが!!!!飲みたい!!!!