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【尼ヶ崎彬に】三島由紀夫・昭和の迷宮【影響されている】

ヨッス人間!!!!生きてる!?!?
今となっては随分昔のことにはなりますが、北方謙三の「水滸伝」4巻を読んでいたのですが、その巻に出てきた楊志というキャラを好きになり、めっちゃ推していたのですが、その巻で普通に死んだのでめっちゃ泣きました。劇的な死で、誰かを守る為に必要な死だったのですが、それでも好きなキャラクターの死は堪えます。まあ北水自体人がよう死ぬ小説なのでここで推しの死に狂っていたらどうしようもありません。その後石秀の死で狂いそうになりました。

ということで今日の本は~~~~こちら「三島由紀夫・昭和の迷宮」(出口裕弘)です!この本はかたいので頭を殴ると痛いです。この出口さんというのは翻訳を生業としている人らしく、バタイユとかシオランとかジャンル雑多に書き散らしているっぽいですね。ウィキ見ました。最近お亡くなりになったみたいで寂しいです。この人も大分ゆきりん推しらしいですね。
本の内容とあらすじは気になる人が勝手に自分で調べて下さい。ヨロ!

私がまともにゆきりんの本を読んだのは中学生の頃でして「潮騒」を読んでおりました。内容は自分でご確認下さい。この本を読んだ後浅野いにおの「うみべの女の子」を読んだのですが、海とセックスが関わる話ってええな~~~~って思いました。
その後私は「丘の上の監獄」とあだ名される動物園高校に通うことになるのですか、その高校は特進コースという隔離病棟があって私もそこに収容されておりました。特進コースの面々は週に2コマずつ、計6コマ国語・数学・英語の代ゼミを受けさせられます。
あるとき国語のゼミで尼ヶ崎彬の「ダンス・クリスティーク」が議題に上がりまして、内容としては「他者の視線を意識し、それに対して提示される身体は、多かれ少なかれ演じられた身体であると言いうる」な話です。引用しました。その話について私は「ふーん、ボーイズラブじゃん」と概念的に思いましたが、担当の先生が私に「三島由紀夫も僕はそうだと思うんですよ」と話しました。勿論作中にも三島由紀夫の死について触れられていますが、この人は私との高校1年生での1回目の授業、初めての会話を反芻して語ったのかもしれません。初めての会話とは「澁澤龍彦は言うほど下品スケベではない」なんですが、この先生はマルキ・ド・サドの様な醜悪すら美徳に変えてしまう古典ロマンがお好きな様でした。ナボコフの「ロリータ」の話を私がしたとき、娘さんがいらしたからかもしれませんが、いい顔をしなかったのでそうだと思います。澁澤龍彦という人は三島由紀夫と仲が良く、また「家畜人ヤプー」の作者・沼正三の正体候補として三島と共に挙げられています。家畜人ヤプーはなんかグロそうだし表紙の絵が嫌なので読んでいません。「ガリバー旅行記」は全部読みましたけど。
とにかく先生はそのとき「三島由紀夫はゲイセクシュアルではないと思うんですよ」と言ったんです。「三島由紀夫はゲイだ」という「虚構」を彼は「仮面の告白」という「虚構」を通して作ったのでは、と。
今回引き合いに出している「三島由紀夫・昭和の迷宮」も1章で「『仮面の告白』の自己診断」というタイトルで「私」の倒錯について語ります。念の為「仮面の告白」についてひとことで言うと「雄に恋していたけどなんか萎えたので友人の妹(のピアノを弾く足)に一目惚れしてみた」って感じです。雑!
まあ「私」と「友人の妹(=園子)」はいい感じになりますが、「私」の優柔不断さにムカついた園子は結婚してしまいます。その後も未練がましく「私」は人妻である園子に会い続けます。そしてラストシーン、「私」は園子とダンスクラブで会ったとき、それまでの苦渋を吹き飛ばすかの様に一人の青年に魅せられてしまうんですね。この続きは原作でも「三島由紀夫・昭和の迷宮」でも読めばいいのですが、それはなんとも三島由紀夫の人生を見ているかの様な気分になります。ゆきりんは確かに結婚し、2児の父となりますから、この時点で「ゆきりんはゲイではない」と断言出来てしまうのです。これは私の先生も指摘しておりました。
「ダンス・クリスティーク」の話に戻ります。以下引用。

三島由紀夫の最期は、まさに「三島由紀夫」として死ぬことで、演じられた虚像を実像に転換させる魔術であったともいえる。逆に「石見人森林太郎」として死ぬことを望んだ鴎外は、文学者や軍医総監という社会向けの人格を引き受けることを拒否したのだともいえる。

なるほどね~。「三島由紀夫・昭和の迷宮」はゆきりんを「平岡公威」のガワとして扱っている節があったのですが、私はどちらかというとダンクリ派ですね。ゆきりんと公威を2つの人格として捉えるやり方です。更に私は「平岡公威」「三島由紀夫」「『三島由紀夫』」の3つの人格があると思うのですよ。「平岡公威」「三島由紀夫」は説明はとくにいいかなって思うのですが、「『三島由紀夫』」というのは私が勝手に言っていることなので説明しますと、「三島由紀夫」が自分の虚構に作り上げたもう一つの自分……と解釈しています。つまり、「仮面の告白」は一応「自伝的小説」と言われていますが、あの作品の「私」というのは「『三島由紀夫』」だということです。この3つの人格はそれぞれゆきりんの性的嗜好をあてはめていくと、「平岡公威」はヘテロ・セクシュアル、「三島由紀夫」はバイ・セクシュアル、「『三島由紀夫』」はゲイ・セクシュアルということになります。勿論これは私が勝手に言っていることなのでこれはおかしいと思えばそれでいいと思います。あなたにもご自分のゆきりんがいると思うので、お互いゆきりんファンチとしてゆきりんについて語りましょう。

豊饒の海」について話しましょう。ウィキで全ネタバレされましたが、今まで読んでこなかった私が悪いので一方的に許しました。これはゆきりんの遺作という扱いになります。「豊饒の海」について私はどうあがいてもこれはボーイズラブやねんという感情しか出てこないのですが、1巻「春の雪」について話せば、主人公の清さまは好きな女・綾倉聡子の為に肺炎で死にますけど、その際自分の唯一の友達にして親友、聡子との逢瀬の手伝いをしてくれた本多くんに最期、「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言って死にます。その次巻から成長した本多と清さまの転生した少年・お姫様そしてまた少年に奉仕とも支配とも言える執着ボーイズラブ劇場が始まるのですが、これもなかなか「『三島由紀夫』」の人生に見えてきます。戦争や国家という男性性の強調されている機構とも言えるものの為に死んだゆきりんという意味でです。結局清様は男である本多くんを求めて死んだのです。次の生に会う約束をするのは男なのです。女に転生したときは本多くんを魅了します。女性性を通した男性同士の恋愛がそこにあるのです。
最終局面、もう老人となった本多くんは出家している聡子に会います。そうして清様の思い出話をしたとき、聡子に言われる「えらう面白いお話やすけど、松枝さんといふ方は、存じませんな」に虚無を覚えてグッバイこの生です。理屈としては「清様も飯沼くんもジン・ジャンも存在しないならもしや自分も……無……!?」みたいな感じらしいです。そこまで読んでね~~
そうして「豊饒の海」4巻「天人五衰」は入稿され、その足でゆきりんは死にます。これについて私は「仮面の告白」に回帰した、と思うのですが、「三島由紀夫・昭和の迷宮」ではゆきりんは10代の思想に回帰したと書いていますね。これは先に書いた「三島由紀夫」はガワか自立した人格かみたいな問題ですね。私としては「仮面の告白」の「私」=「『三島由紀夫』」がこれまで「三島由紀夫」が描いた虚構によって転生していく「『三島由紀夫』」を「仮面の告白」の「『三島由紀夫』」に回帰させたんじゃないかと思っています。結局「本多繁邦」という存在が彼自身の虚構になった様に、「『三島由紀夫』」も虚構として死んでいくのですから。
どこで見たのか覚えていませんが、ゆきりんの人生はなんだかきっちりしている、1925年に生まれて1970年に45歳で死ぬ、みたいな文を随分前に読みました。もう覚えていませんマジで。しかし自分の生を選べなくても死は自分でいくらでも選べるのだとすれば彼が1970年に45歳で死んだのも何かしらの意味が存在したのかもしれません。その文が載っている本を私は今手元にないので(どの本に載っているのかすらわかりません)、どういう内容かを責任持ってお話出来ないのが残念ですが、もし彼の自殺はゆきりんのどの人格によって行使されたのかと考えれば「三島由紀夫」による「『三島由紀夫』」の自殺と言えるのではないでしょうか。もし「三島由紀夫」という存在を虚構を生み出す機構・機関だと思えばゆきりんの自殺事件もやはり実在する「虚構」なのです。もう意味わかりませんね。

「ダンス・クリスティーク」は私が高校2年生の頃に触れた文章なのですが、中学2年生と高校2年生の頃に触れた文というのは”永遠”になりがちじゃないですか?私にとって京極夏彦と「ロリータ」と「ef」は永遠になりました。多分他にもあります。ですから恐らく「ダンス・クリスティーク」も永遠になってしまったのかもしれません。また当時の先生の発言については、申し訳ありませんが当時の記憶を思い出して書いているので、当時の先生の意図と違う様に書いてしまったかもしれません。あなたの良心のままに読んで頂いていればありがたきハピネスです。その後先生から「美徳のよろめき」を勧められ買って読みました。どうも不倫が苦手侍なのですが、虚構の不倫は大分読めます。相手の男のクソ男感嫌いじゃなかったです。
今回のクソ文は高校2年生の私が考えていたことをようやく自分の文章で言えた様な気がします。ゆきりんは本当に不思議な人です。きっと私がゆきりんのこと理解出来てるつもりでも、ゆきりんは永遠の虚構になってしまいましたから正解をくれません。出口さんの考えるゆきりんも、東京の地に散ってしまいましたし、出口さんも亡くなってしまいました。誰も正解も理解も見せないまま、東京の排気ガスはその迷宮を覆い、神秘を秘匿していくのでしょう。本当に東京というのも不思議な土地です。

まとめ
・おれは昭和の迷宮よりダンクリ派やねん
澁澤龍彦は言うほど下品スケベではない
子持ちのおじさんに「ロリータ」はウケない
・「豊饒の海」のウィキはネタバレがあるので気をつけろ

最近吉里吉里で懲りずにスケベ・ゲーム作っているんですが右クリックで右クリックメニュー出してまた右クリックすると元の画面に戻るやつやりたいんですけど上手く行きません。わかるひと助けて下さい。
それにしてもカタカナ語で2つの言葉を繋ぎ合せた言葉に、「・」を入れると村上春樹っぽくなりませんか。「スケベ・ゲーム」とか「セーラー・ムーン」とか。なりません????????
それじゃあ今日は金曜日、死なずに頑張って下さい。じゃあな人間!

2020/11/04 一部不適切な表現があったので訂正しました。記事の内容に変わりはありません。

100円コーヒーが!!!!飲みたい!!!!