優しさに気づく私もきっと優しいはずだから
はじめに
ひさしぶりにnoteを書いてみようと思う。
4月から社会人になって、目まぐるしく日々は過ぎていき、気付けば11月。
学生のときに、就活生のときに、「これは自分の強みだ!」そう思っていたことが会社員になった今、「自分には何も強みがないんじゃないか…」と弱気になっていた。
優しさを持っていると思っていたけれど思ったより優しくない自分と出会ったり。
言葉が好きで、人と対話することの大切さを知っていると思っていたけれど、
ぜんぜんだったり。
このままでは、なんだか良くない!(感覚)と思い、このnoteを書いているときくらいは自分自身をあま〜く見てあげたいし、もしこの記事に訪れてくださった方が、少しだけ自分を褒めることが出来れば…そう思い唐突に始めたようと思う。
書くのは今回きりかも知れないし、次に書くものは全く違うタイトルかも知れないけれど、優しさについて自分が感じたあれこれを綴りたい。
朝は誰だって余裕がない
毎日、出勤そして帰宅ラッシュと闘っている。
正式に言うと、出勤ラッシュがあまりにも辛くて朝6時台の電車に乗り避けているのだが。それはさておき、まだ入社して2ヶ月ほどだったとき、
朝7時。出勤ラッシュに揉まれながら電車に乗っていた。
「あと二駅だから。あと一駅、もう少し。」息苦しく窓を見て、
やっとの思いでホームに降りた。当然ホームから改札までも、
とってもたくさんの人で溢れている。
そんな中で、とある人と足が絡まってしまい、足を捻挫してしまった。
あまりにも痛くて、階段を降りていた途中だったけれど、
手すりにつかまって立ち止まった。もちろん、周りの人はとても急いでいる。
私のことは横目で心配そうに見つめてくれるが、構っている余裕などない。
それが当たり前だと思い、「なんとか、歩かなきゃ。」そう思っていたときに…。
突然腕を掴まれた。横には一人の若い女性が、まっすぐ私を見ていた。
「大丈夫ですか?歩ける?」声をかけてくれたのだ。
私はとっさに笑顔で大丈夫と返した。あのとき、ちゃんと笑顔で返せて良かった。そのとき自分に余裕があって良かった…。
優しさを気づける人になりたい、ただそれだけ
きっと声をかけてくれた人も、とても急いでいたと思う。
名前も顔も知らない人に、心から心配してくれたあの女性の目が忘れられない。
もちろん声をかけなかった人が優しくないわけでは全くない。
ただ、怪我をしたあの瞬間の私にとっては、あの女性の優しさに救われた。
優しさはなにげない日々にきっとたくさん、たくさんあるのだと思う。
拾いきれていない優しさもきっとたくさん。
だから、今日は誰かの優しさに気づいた私もきっと優しいはずと信じて、ゆっくり眠りにつこうと思う。