久しぶりに死を処理した話。
実に1年半ぶりに、書きに来ました。
書けるようになった、という感じ。
実はぱたりと書けなくなりました。えっライターなのに?
そんなわけで(どんなわけだか)今回は、おみくじでもミルクグラスでもなく、可愛い女の子が死んだ話をします。
我が家には、来て1年のマリアンヌちゃんという可愛い娘がいたのです。
マリアンヌちゃんはサソリです。
サソリって飼えるんですよ。見せましょうか。
はい、ほんまサソリだな。というフォルムのマリアンヌちゃんです。
スマホに入っている最初の写真が去年の6月19日だったから、本当に一年でしたね。
ちなみにアジアンフォレストスコーピオンの中のチャグロサソリという種類です。(検索狙いではないよ)
私は4月からなかなかの勢いで病んでいたのですけど、ピークかって時にこの子が亡くなってしまいました。突然死です。
脱皮不全ぽさもあったのですが、まあとにかく死因は分かりません。
このコが突然死んだので、それはそれは大変にショックでして、2日ほど倒れて泣きました。
んで、2日目夜に
「これは、あれか。グリーフケアってやつか。自分の喪失体験を自分で癒さねばならんな」
みたいな気持ちになったので、何をやったかを日記的に書いてみます。
まず、サソリってのは触れ合いのできるペットではないです。サソリだけじゃなく、下等生物になればなるほど、人間に合わせることができません。なので、彼らに合わせようとすると、まず触れ合いはそぎ落とされます。
マリアンヌちゃんのストレスにならないよう、触れ合いはなし。
もし触るとすれば、脱走などの緊急的な措置で手で摑まえるしかない時です。もちろん弱いけど毒もあるしね、危険もあるから。
この前提で同居するので
「次に君を抱く時は死んだ時だな」
となります。(別にかっこよくない)
だから悲しみの内にいると、死を認めたくないので、触れないのです。
触れないし、取り出せない。
よって、ケースから取り出せず、しばらく葬れない状態になります。
でも、ちょっと考えてみたんですわ。
このままいなくなって悲しいけど、戻っては来ないから、じゃあ最後に何をしたいのか。
私が何をしたいのか?と問うた時に
「せいいっぱい抱きしめたい」
にいきつきました。
ええ、分かってますよ。相手はサソリですよ。体長12センチくらいのサソリ。手のひらサイズです。
なのに正直なところコレだったので、
「ほんならそうしたらいいさ」
となり、やってみました。
といっても小さいので、妄想上で膝の上に乗る枕くらいの大きさに彼女を拡大して、正面からぎゅぎゅーーーっと抱きしめました。
サソリのお腹って平たくて楕円形で、案外抱きしめるとフィットするような感じあるんですよね。(個人の感想です)
脚が多いから実際はつっかえるんでしょうけど、とにかくクッションのようなイメージで、むぎゅーっと抱きしめてみました。
で、なんとこれで気が済んだんだよ、という話です。
遺体に声をかけたり、何度も気付かなくてごめんと謝ったり、そのあたりはひととおりしたのですが、
そんなことをしても埋葬できないままだったのですが、この妄想で一気に済みました。
ケアというほどのことでもないような気もしていますが、
「お葬式は故人のためより残された遺族のためのもの」
という言葉を思い出して、自分のためにやってみました。
自分がどうしたいか、という視点を悲しみの中にいても持つことができて、良かったです。
マリアンヌちゃんは購入したものではなく、友人から譲っていただいたものでした。なので、その人にも心から申し訳ないし、
将来は友人宅(実家である)のオスと交配して「マリアンヌちゃんの赤ちゃんを育てたい」という野望もあったので、死によってその人との縁も薄れるような気がしていました。
そうしたサソリと自分の間の問題ではない、不随した雑多な感情にも捉われていたのですが。
そのへんは「なきゃないで要らん」と処理しておきました。
これができて、とても軽い。
実は足を引っ張っていたのはこれではないのか?
気が済んだ、となりましたが、葬り方にも何か納得できず、色々と考えてしまいました。
私は占い師という生き物なので、サソリといえば水の生き物。水葬ってどうなんだろうと。
しかしこのサソリは、湿度80%の湿地帯生活をしているくせに水たまりで溺れる危険のあるどんくささもあり(かわいい)
体を水に入れる苦しみを与えるなんてイヤだなと。
んでやっぱり、土の中に入れる=死と再生の象徴
みたいなところに落ち着くわけです。
このへんをえいやっと処理できたので、彼女を葬ることを決めることができ、実家である友人に依頼。
迎えに来てもらい、手渡して、我が家にマリアンヌちゃんはいなくなりました。
東日本大震災で被災して、犬が死んだときに、同じようにずーっと泣きはらしていたのですが、火葬場に行って焼かれている最中に
「あ、今いなくなったな」
という感覚を覚えたことがあります。
その瞬間以降は、涙はぴたりと止まりました。
その時ほど強くはないけど、同じ感覚があったので、まあ良いのでしょう。
迎えに来た友人に
「生きて実家に帰せなくてごめんね」とだけ伝えて、終わりました。
マリアンヌちゃんは一度だけ脱皮したことがあったんですが、その時の殻が残っているので、これをどうにか残せるようにレジンに入れるとかして保存処置をして、それでよいのかな、
さらにここで言語化して、頭がすっきりして、それでおしまいです。
実はあまり死に触れない毎日を送っています。
タイミングで死に目に会えないことが多い不思議な人生です。
なので、久しぶりに死に会った時間でした。
相変わらず家の中では、ニジイロクワガタの幼虫が木をかじるバキバキ音や、イモリの水を駆ける音、オカヤドカリのジャングルジム落下音などなど、さまざまな生き物たちの気配に満ち溢れています。