あたたかい居間、するめの焼ける匂い
すぐ忘れる。
前回書いた記事を読んで、ああ、今日書こうと思ってたこととほぼ一緒じゃん、と思った。
いつもただただひたすら繰り返している。驚くほどに。
でも書く。
しばらくコロナになって臥せっていた。
私以外誰も罹っていないのに。
その間本当にスマホ見るくらいしかできなかった。
本を読みたいと思っていたのに。
で、回復してようやくデニーズへ。
いつもデニーズに入り浸ってるんだけど。
私、いま大学生になっていて。目的は、勉強くらいした方がいいんじゃないか、
集中して本を読むくらいした方がいいんじゃないかという消極的な理由。
でも、この前コワーキングスペースを見つけて。
行ってみて、おそるおそる学生証を見せたら学割がきいた。
なんと1時間200円。コーヒーも飲み放題だし。
先日Xで、私と同じ大学にいて学割を推してる人がいてバズっていた。
でもその人は学割目当てじゃなくて、在籍する意味あるよ、私は生涯在籍するって言ってて、私も同じ気持ちでいる。
学生の身分をずっと持っていて、学割がきくコワーキングスペースに一生いるのでいいんじゃないかとすら思った。そこにジムとか食堂がついてたら最高だな。あと何があるといいかな。図書館かな。視聴覚室で映画が永遠に見れたらいいな。そういう老人ホームだったら老後入りたい。
でもデニーズに行き慣れているから。
いまの私のキャンパスはデニーズだ。
そういやこの前同じデザインの教科書持っている人がいた。
デニーズ隠れキャンパス説が濃厚になってきた。
で、今日うれしかったことは、
教科書を読む時間にすごく充実感があったこと。
スマホいつもふとみてしまう。何か思いついたらすぐ検索してはそのままあっちに行ったりこっちに行ったりしてしまうんだけど、
今日はスマホを車に忘れた!と思って、まあいいや、短時間だしそのままいてみようと思って。
いつもだったら、教科書ちょっと読んで休憩する時に見てしまうんだけど
今日は瞑想をしてみた。
そしたら胸の奥からスッキリして、
教科書を読むのも集中して読めて、没頭することも気持ちが良くて。
ああ、抜けられた。
私がコロナの時延々拾っていたのはガラクタのようなものだったと心底思った。
そして最近思ったのは。
なんとなくずーっと小さく焦る気持ちが常にあるなと思っていて。
気持ちが焦っていても、焦ってなくても、目の前のことって変わらないじゃん。
だけど、なぜか焦りをずっと持っている。
これって、なんか勝手に持っていて、これがいいから選んで持っているわけではないよなと思った。
そして、体の反応みたいに手放せない強い気持ちでもなかった。
だから、入れ替え可能かもしれないと思って。
小さい時に、実家の居間で、冬、ストーブにアルミホイルを敷いて
するめを焼いて食べていた。
TVは大相撲の中継やってて。
私は父にするめをもらって食べて、猫のふじこもこたつで寝ている。
そこにはなんの不安もなかった。
外は雪が積もっていて、薄暗くて寒いし、
相撲もするめも興味あるわけではないしふじこもつれないけど、
居間は暖かくて、するめはおいしくて
父とふじこがいてその空間は完璧であった。
だから私の中の焦りが居座る空間から焦りを退けて、
あの時の実家の居間と入れ替える。
そうすれば私はあたたかな気持ちで
ぽかぽかとのんびりと安心していられる。
コーヒーをおかわりして教科書を読もう。
教科書を読むのに疲れたらまたあたたかい居間に帰ってこよう。
何かをガツガツ進めたりガラクタを集めなくてももう大丈夫かも、
初めから大丈夫だったのかもしれない。
根拠はないけど、私の中にあの居間があれば。