【エッセイ】4歳児、電車の旅
これは2年半前に書いたエッセイです。
2週間前の夕食時に、私が友人と遊びに行くのに電車に乗った話をすると、4歳の娘がとてもうらやましがった。我が家は基本的に自動車移動ばかりで電車に乗る機会はほとんどない。私は子どもにいろいろ経験をさせたいと思っていることもあって、先日の休みの日に娘と2人で電車の旅を楽しむことにした。
電車に乗ると知った娘は朝からテンションが高くなった。
いや、4歳児は元からテンションが高い。
いつもと違うのは「電車に乗るねんなっ」を連発したことくらいか。普段なら時間がかかる朝食も早々に食べ終わり、歯磨きも洗顔もスムーズに娘はこなしていった。
曇り空だったけれど、8月の日差しが雲の間から差し込んでくる。暑さよけに私も娘も帽子を被った。最寄り駅までは夫が自動車で送ってくれた。自動車から降りながら娘が言う。
「お母ちゃんがお出かけしたとき、ここで降りたやんな~」
私だけが出かけるときも夫は駅まで送ってくれて、娘を自動車に乗せたまま走り去るのだ。私と手をつないで駅に向かって歩く娘が、私を見上げる。
「バイバイしたな~。今日はワタシも一緒に行くん?電車に乗るん?」
以前の話から自然に当日の話に切り替わり、私の頭はついていかない。この後もしゃべり続ける娘に返事をしながら、ICカードを出して娘にピッとさせ、行き先のホームへ娘を誘導する。これはなかなかの重労働かもしれない、なんて旅の始まり5分で感じてしまった。
各駅停車しか止まらない駅のホームに着くと、通過する電車が数本行き交う。娘はそのたびに手を振り、どこへ行くのか聞いてくる。電車が来ないときは、線路に書かれた番号を読んでは、ドヤ顔を見せてくる。私が少しボーっとしていて反応が遅れると、何度も話しかけてくる。だんだんと投げやりな返事をしそうになる自分に気づいた。
この日の旅は、家の最寄り駅から隣の県の県立公園の最寄り駅までの1時間程度だ。いや、1時間もある。
しかも乗り継ぎが多くて、2駅ほど乗っては降りることを繰り返し、合間には駅から出て10分ほど歩くこともある。今から娘の話に投げやりになっていては、目的の駅に到着するころにはイライラしてしまっている可能性がある。それは良くない、と思い直して、楽しそうな娘の気持ちに添って私も楽しもうと気持ちを切り替えた。
「まだかな~、まだかな~」
そう言いながら待つ娘のもとに電車が止まった。手をつないで車両に乗り込むと、娘はさっそく靴を脱いで座ろうとする。慌てて私は制した。ここは1駅だけなのだ。次の電車も2駅だけ。あまりにも細切れ過ぎるかなと思ったけれど、娘が飽きずに乗れていいんじゃないかとも思った。
2つ電車を乗り継いで着いた駅では単線の電車に乗り換えるので20分ほど駅のホームで待つことになった。4歳の娘にとっては何もすることがない20分は苦痛らしく、持ってきたペットボトルのお茶を何度も飲み、私にも飲ませ、歌を歌い、目につく人やモノを全て口にする。
「車掌さん、手を振ってくれた~」
「あ、あそこ、車が走ってる~」
「あのお姉ちゃん、どこ行くん?」
「あ、なんかある~」
娘は怒涛のように話しかけてくる。相づちでいける返事は笑顔で返す私も、答えようのない質問が飛んでくると、暑さも相まって苛立ちが湧いてくる。
何度、知るかー!って叫びそうになったかわからない。それでも、私は分別のある大人だ。娘の好奇心を踏みにじってはいけないし、少ないとはいえ、周りに人がいる。ほほえましい親子の旅を楽しまなければ、再び心に言い聞かせる。
単線の電車を降りると、一旦、駅を出て、10分ほど先にある別の鉄道会社の駅まで歩く。一緒に電車を降り、改札を出た人たちが私たちの前を進んでいく。娘は見たことのない景色が周りにあるせいか、視線が落ち着かなくて、階段を下りるのにいつも以上に時間がかかった。
「どっち、行くの~」
こっち、と返事をして、つないだ手を引く。娘は先を行く人たちに興味津々。
「あ、あの人、あっち曲がったで~。どこ行くん?」
出た!私が答えられない質問だ。
「家かお出かけ先があっちやねんやろ」
想像できる範囲で適当に答えると、娘はふーん、と納得する。興味ないなら聞くな!と心の中で叫びながら、私は慣れない道を模索しながら歩く。方向はわかっているから、きっとここは右に曲がればいけるだろうと思って行った先は行き止まりだった。
「間違えた~」
私はUターンして大きな道路の歩道を行くことにした。私に手を引かれたままの娘は、視線をあちらこちらに向かわせながら、大人しくついて来てくれる。
大きな道路を歩けば間違いないはずだけど、少し不安な気持ちがぬぐえない私も周りを見回しながら歩く。そこへ発せられた娘の言葉。
「お母ちゃん、間違えんといてや~。今度はちゃんと行ってな~」
娘の口調は責めるものではなく、こういうときはこういうんだろう的なものだった。
この4歳児、口だけは本当に達者だな、と我が娘ながら呆れてしまい、力が抜けそうになってしまった。慌てて、娘の手をしっかりと握り返す。いろいろありつつも、2人で楽しく歩いて駅が見えてくると、私は電車に乗り遅れたら困るという気持ちが先に立ってしまった。
「さっさと歩かな、電車に乗り遅れちゃう」
まだ電車は来なさそうだけれど、遊び歩きをしがちな娘をしっかりと歩かせようとしたのだ。これが良くなかった。
「あ、お母ちゃん。電車、来ちゃうから走ろ」
歩いていても十分間に合うのに、余計な私の一言が真夏日の下で数メートルとはいえ、娘に手を引かれて走らされることにつながってしまった。駅のホームに着くと、私の顔からは汗が滴り落ちてきたし、娘も汗だくだ。私がタオルで娘の汗を拭いてやると、娘もお返しとばかりに私の汗を拭いてくれた。ここのホームでも娘の好奇心は止まらない。
「あ、電車があっちから来た」
「車掌さん、こんなんしてた」
「電車、緑色やった」
向かい側のホームの電車が発車すると、
「あ、みんな乗っていった。どこ行くんやろ?」
ひっきりなしにしゃべってくる。旅が始まって40分を過ぎるころには、私も面倒になってきて返事が適当になる。そうすると、娘は必ずといってもいいほど私がしっかり返事をするまで、同じ話をしてくるのだ。
ここで急行電車に乗っていけば目的地の駅だ。
あと少し頑張ろうと、三度、私は気持ちを奮い立たせた。
急行電車は15分ほど乗る。娘がやりたがっていた靴を脱いで座席に乗るということをさせてあげた。人がまばらで助かった。そして、この急行電車でも好奇心が爆発する。
「真っ暗~。トンネル入った~」
「どこで降りるん?」
「お父ちゃんは?」
「今日のお昼ご飯は何やろ?」
1時間も電車の旅を続ければ、聞くことも言うこともなくなってきたのだろうか。普段の日常会話が増えてきた。ひたすら会話していると、目的地の駅に到着する。改札を出て、夫がいるであろう駐車場を探して、周りを見回しながら歩いていると、娘がまたしゃべりだした。
「お父ちゃん、どこにおるんかな~」
「ちゃんと来れてるかな~」
「あ、あっちの道から来るんちゃう」
目的の駅に到着している私は、折れる心を立て直す気にもなれなかった。
「さあね~」
「どうかな~」
「そうなんかな~」
娘の手を引いて歩きながら、ひたすら適当な返事を繰り返し、夫が運転席に座る我が家の自動車を見つけた。
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