28歳は人生の転換点
私にとって、28歳は、子供のころから不安と期待に満ちた年齢でした。
私の人生は28歳から何かが始まる。。10代のころにそう予感してから、一体28歳に何があるのだろうか、20歳を過ぎ、25歳を過ぎ、だんだん迫ってくる28歳という時に、焦りと不安と期待でいっぱいでした。
28歳の誕生日、「今日から私は大人になりました!」そう宣言した私の胸の内を理解したひとは、おそらくその場に誰一人といなかったでしょう。
28歳までは、あらゆることにチャレンジしてみよう、思いつくことなんでもやってみようと思い、始めては辞めを繰り返し、自分の行く道をひたすら探して歩いていました。
そんなことができるのも28歳まで。
心のどこかでそれをわかっていました。
現在私は28歳7カ月です。
28歳から何かを始める。そう決めていた私は、
介護事業所を設立することをスタートラインと考えました。
在宅医の娘として育つ
私の父は、30年在宅医療一筋の内科医です。父の背中を見て育ち、子供のころから、人の最期、死や生を考えて生きてきました。
今でも鮮明に覚えている記憶があります。
幼稚園生のころ、やっと叶ったディズニーランドへの小旅行。家族4人で車に乗って、渋滞に巻き込まれながらも、ミッキーやミニーに会えることを思えば気持ちは高ぶり、はしゃいでいました。
が、その矢先、父のケータイが鳴ったのです。
あー、またか。。。。。
家族全員がそう思い、にぎやかだった車内が一瞬で凍てつく静けさに包まれました。
「今から向かいます。」
父がそう言って電話を切りました。
またか、、、、
それまでの期待と夢ははかなく、家族全員が黙ってその状況を受け入れて、車は来た道を引き返しました。
24時間365日、深夜でも明け方でも、患者さんに呼ばれれば飛んでいくのが在宅医なのです。地域には、父を待つ私の家族が何人もいるような、そんな感覚が子供のころから染みついていました。
でも、その患者さんひとりひとりの生命が私たちに教えてくれるのは、生命の尊さ、神秘なのです。父から聞く患者さんの最期のエピソードは千差万別で、一人として同じ人間はいないことを教えられます。地域に住む患者さんが亡くなれば、私の家族が一人亡くなったような、そんな感覚さえ覚えることもあります。父が誠心誠意人と向き合い、生命と向き合っている姿は、私の誇りであり、感謝に堪えません。私を育ててくれた父への感謝は、その先に、父を育ててくれたたくさんの患者さんがおられることへの感謝と通じていきます。たくさんの患者さんの生命が父に教えたこと、それを享受できる私からの恩返しは、今生きる人たちの最期のときが幸せで豊かである社会をつくること。最期まで人の生命を尊び、幸せに豊かに生きられる世界に変えること。
私の最もやりたいことはこれだと、20代前半のときにはすでに気づいていました。
出逢い
その最もやりたいことにコミットできるときを待っていました。
そこにたどり着くまでの迷いや葛藤、自分自身のしがらみなど、一筋縄ではいかない辛さもありました。
それでも、
28歳のときに始まる何か
それだけを手がかりに、介護事業所設立というビジョンを掲げ、独り設立準備を始めていました。この時点ではまだ、全ては机上の空論でした。
自分を突き動かすパワーが弱い。
その原因は、一緒にやる仲間がいない、ということでした。誰か一人と出逢うこと、それが急務でした。
・・・思いがけないところに出逢いはありました。
全く別件の仕事である事務所に立ち寄ると、そこに居た方が、前川さん。彼も介護事業所設立を準備し、一緒にやれる仲間を探していたのです。
私も仲間を探していました。
私達はすぐに互いの連絡先を交換し、その日の夜にはオンラインミーティングを開いていました。
私は自分の生まれ、生い立ち、なぜ事業所をやりたいのかを、一気に話していました。その時に感じたことは、彼と組むことは、私のあるがままをそのまま活かしていけるとという確信でした。
それは出逢いでした。
まだこの出逢いから二月足らずですが(11月現在)、今月中には株式会社が立ち上がります。4月には定期巡回随時対応型訪問介護看護を行う事業所がオープンします。着々と準備は進んでいます。
28歳7ヶ月
確かに、10代の頃から見据えて来た何かは、今このときであると確信するのです。
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さて、今日から始まった〜在宅医の娘♡天音通信〜では、
私のストーリー、私達は何を目指し、何を実現したいのか、これから少しずつ皆様にご紹介して参ります♪
一緒に目指せる仲間がさらに増えていくことを願っています♡
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