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母にずっと聞きたかったこと。






それは、モデルナアームが出たよと報告しようと思って、母に連絡したある日のできごと。


女性あるあるなのかもしれないが、母と話していると気づかないうちにどんどん話題が変わる。あれ?何の話してたんだっけ?という感じになるが、そりゃあ親子だ、もう慣れた笑



流れで結婚の話に。


それは突然訪れた。



あのときなんでお父さんと別れなかったの?



んーなんだかんだ支えてもらってたし、子供たちもいたからねー



わたしは正直別れてもよかったよ。お母さんがしんどいのを見てる方が辛かったし(号泣)。



そうだったのねー



んで、別れなくてよかった?



うん、別れなくてよかったよ。


(大号泣)




ちょっとーあまなつ聞いてんのー?


ぐすん(号泣)



幼少期からの家庭環境は最悪だった。

怒る父とびくびく言いなり家政婦のような母。そしてそれらをびくびくしながら聞く子供。機能不全家族だったのかもしれない。



もともと明るく勝気な性格だったんだけど、気づいたら、わたしはだいぶ他の人の目を気にするようになっていた。学校でもいじめられていた時期があったので、家でも学校でも、ほっとできる場所や時間がなかったように思う。


もっと母に話を聞いてもらいたかったけど、家の中が最悪だったので、そんなわけにもいかず…


結構つらかったねー



↑つらすぎて感覚がわからなくなるやつ



それでも高校時代には大切な仲間ができた。そのときからなんとなーく一緒にいるようになって、20代半ばにお互い転職するまでつながっていた人もいたし、歳を重ねるごとに自由な時間が増えて、海外の異なる文化や考え方に助けられたりもした。


転職後はより楽しい時間が増えたように思う。30代に突入してからは、年々今が一番楽しいというのを更新している気がする。


コロナ禍だからできることは少ないんだけど、あり方というか考え方というか、自分が知らぬ間に刷り込まれていた思い込みが、柔らかくなってきたように思う。



でもときどき、幼い頃の記憶が置いてかないでーとひょっこり顔を出す。


母には複雑な気持ちもある。まだ実家にいたころ、30歳のときに反抗期を迎え、1年近く口をきかなかった。その後和解したけど、ほどなくして家を出た。


ある程度距離があるおかげで、今では心地のいい関係が築けている。


だからこそ、聞いてみたかったのだ。



わたしは、表面上では結婚したいし子供も欲しいと思ってる。



でも、たぶん心の奥底で、離婚したくないから結婚したくない、結婚したら両親のように主と家政婦の関係になって、自分が我慢しなくてはいけない、そんなの嫌だ、だったら1人でいる方がましだと思ってるんだとわかった。

身近に仲の良い夫婦がたくさんいて、その関係性を見る機会があるのに、いつまで経っても自分の幼少期の記憶がこびりついて離れない状態だった。それくらい、辛い日々だった。


でも、母に聞きたかったことを聞けて、あまり本音を言わない母が答えてくれたおかげで、もう、辛かった日々を握りしめてなくてもいいのだと思えた。


あと、友人にこの話をしたら、うちもそうだったよー具体的な話もしてたからねー今は仲良いからほんと拍子抜けよねー


彼女は数年前に結婚し、同じ会社に勤務する優しい旦那さんと穏やかに過ごしている。


あぁ、わたしもこれでいいんだ。彼女と旦那さんみたいに、自分たちが思い描く関係性を築いていけばいいんだ。



母は焦らなくていいよと言ってくれているけど、わたしの幸せを願ってくれている。自分と同じ思いをさせたくないって思ってるんだろうなー。


今回の話は、長年抱いていたものが昇華したような、そんな気がした。



母よありがとう。