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多様な家族のかたちを丁寧に 

    地味だが良質なドラマだった。惹かれあう二人が、困難を乗り越えて、最終的にはくっつくというラブストーリーの王道的展開をベースにしつつも(当て馬的キャラの献身的男子もちゃんと登場)、さまざまに揺れ動きながら確実に変わりつつある現代社会の家族のかたち、愛のかたちが丁寧に描かれていた。
 そもそも妻に先立たれすっかり生きる気力をなくしている、「学問一筋」「生活能力ゼロ」の辞書編纂者の父と、三十過ぎて結婚する気配のない娘が、父娘で「婚活」を始めるという設定に、「あ~、(現実にはそうそうないがドラマには)よくある話しね」とさして期待もせずに観はじめたのだが、回が進むにつれていわゆる「普通の」夫婦関係、恋人関係、友人関係には回収されない「関係性」をステレオタイプに落とし込むことなく、それぞれにとって「特別な」関係へと少しずつ進化していく過程として描いていて、自然に引き込まれていった。
 晴太はシングルファーザー、同じマンションに住む仕事一筋の元妻に週一で息子虹朗を預けている。主人公杏花は晴太と起業セミナーで知り合って(ここでさりげなく二人が「独立」を目指していることが示唆され、それが最終回の伏線回収に繋がっている)、クラスメートから友人、そして互いに意識しあう仲へと少しずつ関係を深めていく。虹朗の学童保育の先生が杏花の幼馴染みで沢田家に強引に同居することになる颯だったり、杏花が父林太郎と行くことになる結婚相談所の職員が晴太だったり、あげく杏花のヨガインストラクターとしての独立に関わるコンサルタントが晴太の元妻安奈だったりと、関係しすぎ!の「ドラマあるある」もさほど気にならなかったのは、主要キャラクターの人物造形に無理がなく、その言動が一応納得のいくものになっていた、ということだろう。
 しかしすべて予定調和的というわけではなかった。物語の終盤に、杏花の出生の秘密が林太郎の口から初めて語られ、初回で妻の遺品のなかから発見された離婚届の意味が明らかになる、という驚くような展開があった。かなり鮮やかな伏線回収である。なぜならこのエピソードこそ、ドラマ全体を貫くテーマをまさに体現するものだったからだ。
 杏花と晴太は結婚しそれぞれヨガインストラクターとして独立する/カレー屋を開くという夢を実現した。晴太のプロポーズの言葉は「虹朗の父親になってくれませんか」というかなりユニークなものだった。大雑把な性格で家事も雑、キャリアを優先させる杏花に対して、息子第一の細やかな生活をめざし奮闘する晴太、父/母という役割分担など二の次だという考えがみえる。林太郎と結婚相談所で知りあった整形外科医日向明里は、年上の良き相談相手になろうとする大人の男性/純粋に人を好きになることを求めて婚活を始めた大人の女性という関係性からお互い恋心をゆっくり大切に育み、最終回では事実婚というかたちでかけがえのないパートナーとなる。二組の新しい家族は、「普通」からはいくぶん距離があるかもしれないが、現代社会の「多様性」を反映した関係性だといえる。
 しかし林太郎と陽子の結婚は、それ以上に、当時としては(いや現代でさえも)「普通」とはかけ離れたものだった。陽子は妊娠していたが恋人に捨てられ絶望していた。林太郎は堅物で生涯学問に生きるしかないと思っていた。偶然出会った二人は、生まれてくる子どもを育てるために、二人で共同して一つの家族をつくることを選択した。あの離婚届は、そのときに陽子が林太郎に渡したものだったのだ。あなたは自由だ、いつでも私たちのもとを去っていい、ということを示すために。それから二人は少しずつ、おそらく手さぐりで意識的に「普通」の家族を構築しようとしてきたのだろう、そして絶望と諦念から始まった家族が、どこにでもある「普通」の家族の一つになった。二人はかけがえのない、揺るぎのない「家族」を手に入れたのだ。林太郎が杏花に事実を告げるシーンは感動的だったが、「そのこと」は三十数年の家族の歴史に小波一つ起こすことはなく、翌日には普段通りの父娘の日常があった。このシーンを描くことで、ドラマを貫くテーマが改めて確固としたものになり、全体が引き締まったと思う。とにかく「普通」なんていうものはない。どんな「普通」の家族も千差万別の「顔」をもっている、ということだけは確実に伝わった。

amanatsu20220730


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