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大人にしてもらえなかった君はこれから大人になっていかなくちゃいけないんだね

どうも。メンヘラホイホイえぐじっとです。

今回はアダルトチルドレンを引き寄せる傾向の強い私が、教育のempowermentに感銘を受けた話をします。

まあなんか知らんけど、私は家庭に問題のある人類を引き寄せがちだったんだんですよね。本当に「アダルトチルドレン」の典型例みたいな人たちがたくさん周りにいました。

まず、その経験から言える事は、そしてみんなにわかっていて欲しい事は、みんな「普通の人」だということです。精神障害とかうつとか、そんなものが仮に診断されても、テレビドラマに出てくるような典型的なうつ病は稀です。というかそもそもtwitterによくいるメンヘラみたいな傾向を示す人たちがみんな「うつ」だと漠然と思っている人も多いですが、境界性パーソナリティ障害とか、躁鬱とか、愛着障害とか、醜形嫌悪とか、まあそれはそれはたくさんの医学的分類があるわけで、それが軽度だったり重度だったり、その組み合わせもその人の生きてきた道筋の分だけバライエティがあります。そして大体の人は「普通」の顔をして生きています。君と同じようにヘラヘラしたりはしゃいだりもします。その人がそうしている皮を一枚剥いだ時、そうでない顔が出てくる可能性を常に考えていて欲しい。助けを求めるという事はとても難しい事です。だから、全人類が助けを求めているぐらいの、優しい気持ちを持ってくれたら嬉しいな。

まあそんな人たちと泣いたり笑ったりしながら生きてきた私が、その中でも特に仲の良かったTさんと体験したことを今日は話したいと思います。

中高一貫の私たちの学園で、T さんとは、6年中5年間もクラスメイトでした。彼女は中国出⾝で、両親がまだ学⽣として⽇本に留学していた時に⽣まれたT さんは、⽣後間もなく中国の祖⽗⺟のもとに預けられ、⼩学校低学年で⽇本にやってきて両親と暮らし始めました。私が最初に彼⼥が虐待を受けているのではないかと気付いたのは確か中3の冬だったと思う。彼⼥は、⽬の周りにうっすらと痣を付けていて、「どうしたの」と聞くと、たいしたことではないけれど⽗親に殴られた、ということだった。その後、高校1年生の頃だっただろうか、彼女が泣きながら、両親との関係がうまく⾏っていないことを話してくれて、それからずっと⼼配していた。

彼⼥の⺟親は開業医で、家庭は裕福そうなのに、いつも彼⼥のお弁当は半分に切っただけのキュウリとトマトと⽩⽶だった。何せ私は(私の一家も)食い道楽なので、もうこれは私にとっては信じがたい事だったし、他人事ながらに耐え難かった。

そしてとうとう⾼1の冬に我が家のポストに⼿紙を残していなくなってしまった。貸していた漫画に一言、「またどこかで会えるといいね!」と彼女独特の消えそうな文字で書いたPOST-ITが貼ってあって、もう兎に角びっくりして、私はすぐに学校に連絡した。その時点で家を出てから既に⼆⽇経っていたらしい。T さんのご両親は捜索願すら出していなかった。幸い彼⼥は1週間後に警察に⾒つかり、⼀ヶ⽉ほど児童相談所の保護施設に⼊れられた後、帰ってきた。しかし、その後も問題は続いた。理系に進んで欲しい両親の意に反して⽂系を志すと、「恩知らず」だとして執拗に妨害されたり、再び逃げ出すことを恐れた両親に洋服や持ち物を隠されたり、⽗親に⼆段ベッドの上から突き落とされたり、⼤学の受験料を払わないと直前になって脅されたりした。彼⼥は、その間も、何とかして両親の呪縛から逃れようと、国外の⼤学進学を志してドイツ語を学ぶなど、⾃分の⼈⽣を⼿に⼊れようと努⼒した。そして、担任の先⽣の必死のサポートもあり、京都⼤学に合格した。ここまで来れば、T さんのご両親も進学を認めざるを得ず、彼⼥は漸く⾃由を⼿に⼊れ、今は実家を離れて学⽣寮⽣活を謳歌している。彼女の合格は、自分の事以上に嬉しかった。

でも、今思うと、あの家出でずいぶん彼女は吹っ切れたと思う。それまでなんだか消えそうな感じだったTさんは、高校を卒業する頃には私の持ってきた弁当を勝手に開けて食べたりするくらい図々しくできるようになっていた。まあ方法論に問題があるなりに彼女は「甘え」て「助けを求め」られるようになったのだ。私たちの学校では、たとえT さんが虐待されていても、⾊眼鏡で⾒るような先⽣、友⼈はいなかった。彼⼥が失踪した時も、学校中の先⽣が緊急会議を開き、彼⼥を守るために結束してくださった。特に担任は、生徒と喧嘩したり、頭が硬かったり、子供っぽかったり、まあ色々せわしない人ではあったが、虐待を受けていた彼女には本当に溢れんばかりの愛情を注いでくれた。本当に先生には頭が上がらない。彼⼥は、両親以外の様々な⼤⼈たちから助⾔を得ることができたし、公的機関に頼るという選択があることも理解していた。適切な相⼿に、適切なタイミングで助けを求めることは難しい。彼⼥も最初はそれができず、失踪してしまったわけだけれど、先⽣がたのサポートもあり、最終的には⾃ら積極的に虐待の証拠を集めたり、警察に相談したりしていた。ずいぶんしぶとくなったなと思った。また、彼⼥には、⾃分の能⼒に対する⾃負があったんだろうと思う。両親の愛情に恵まれていなかったとはいえ、⼩学校で⽇本にやってきて、⽇本語を学び、日本一と言われる女子校に受かったという成功体験があるわけで。だから、彼⼥は「どうせうまくいかない」と諦めてしまうことなく、⾃分の⼒で未来を拓く努⼒を⾟抱強く続けることができたのだと思う。外国留学を⽬指して独学で学んだドイツ語だって、留学には結びつかなかったけれど無駄ではなくて、彼女は京⼤で「既習」ドイツ語クラスへの参加を許可された。凄くない?????

貧困、劣悪な家庭環境、虐待などで囚われの⾝にある個⼈、それを救う方法(あるいは介入できる方法)は、私はないと思っていた。けれど、彼女を見ていて、目から鱗だった。そういう環境から抜け出し、⼈⽣の選択肢を広げていくことに、これほどまでに教育が強⼒に手助けになるんだと思った。驚きだった。

今、彼女は一人の男性に愛されながら、一緒に暮らしている。この夏、久しぶりに彼女に会った時、彼女はどこか赤ちゃんのように安心し切った様子だった。

本当に幸せそうで、私も安心して、彼女が帰った後に少し泣きました。

最後に。彼女に向けて。

「大人にしてもらえなかった君はこれから大人になっていかなくちゃいけないんだね」

昔、君に言った言葉です。覚えていますか?本当によく頑張ったね。

でも覚えていて欲しい。私が君に構ったのは、君がかわいそうとか、責任を感じたとかそういうことじゃなく、君が素敵な人だったからです。

まあ確かに君にはぼちぼち面倒臭いところもあったけど、あんなにうきうきしながら「ねえ出口さん知ってる?ゴキブリって人間の大きさになると新幹線の速度で走るんだよ!」と教えてくれたり、人の弁当をあんなに美味しそうに食べる友人は、私には他にはいません。

愛しています。また東京に来たら連絡してください。一緒に遊びましょう。

(追記) 本人にこの記事を見せたところ「公共機関はなんもしてくれないよ、クソだよw」とのことでした。公共機関の児童虐待問題に対する対応のクソさに関しては私も思うところがあるので、後日記事を書こうかな、と思います。

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