私も大切に扱われたかった
高校生の頃、お弁当のデザートにいつもフルーツを持ってくる友達がいた。
具が異なるおにぎり2つに卵焼きといくつかの野菜のおかずといったバランスのいい手作り弁当のデザートとしてフルーツがついていた。
リンゴは美しいウサギ型にカットされ、変色防止のひと手間がかけられていることがわかる色をしていた。
薄皮まできれいに剥かれたグレープフルーツの果肉はピカピカと光っていた。
果汁が多いものは漏れないようにラップにくるまれた状態で、小さくてかわいらしいタッパーに詰められていた。
その子のお母さんは毎朝丁寧にお弁当を作っていた。
子供のことが大切で、健康で元気でいてほしいから、朝早く起きて丁寧に作っていたのだと思う。
そうやって大切に扱われる子供が妬ましくて仕方ない、みたいな瞬間が当時たくさんあったし、今もある。
カウンセリングで定期的に受ける心理テストに、
「最近死にたくなったことはありますか?」
という設問がある。
これに「ない」と答えられる日は来るのだろうか?と思ったら、なんだか自分が不憫で情けなくて涙がでてきた。
どうしても定期的に人生が苦しくなる。
暗いnoteを書いてる今、猫が寄り添ってくれることが救い。
猫が私をこの世に繋ぎ止めている。
でも猫を大切に抱きしめるとき、大切にされなかった子どもの私を思って少し悲しくなる。