「笑」を探そう
このところ、他人の日記(note)を読むのが楽しい。noteにいる人たちって、いちいち違和感に引っかかって、いちいち立ち止まって、いちいち確認せずにはいられない、考えることをサボらない(サボれない)面倒くさい性質の人たちが結構多い気がして勝手に親近感を抱いている。
もし世の中に自分みたいな人しかいなかったら、人と人の距離はなかなか縮まらないし、話もなかなか進まず発展もあんまりしないと思う。だから他のSNSやブログに住んでいるタイプの人たちもみんな必要でみんな違ってみんないいのだけど、自分と似た性質の人がたくさんいる気がするnoteになんとなく安心感がある。
でもこの間、「女性は子供を産み育てる使命がある(要約)」と宣う男性のnoteが流れてきて、え、めちゃくちゃ気持ちわる!と思ってゾワゾワした。同じ記事の中で、女性は可愛げがないと男性の庇護欲を掻き立てられない、みたいなことも書いてて二重に気持ち悪かった。当たり前だけどnoteにもいろんな人がいる。
私が一番感心するのは、笑える文章を書ける人。面白い人はとても羨ましい。画面にこうして並んでいる文字、言葉だけで、他人を笑わせたり楽しい気分にさせられるなんてものすごいことで、ほぼ魔法だと思っている。私もnoteで面白いことを書いて知らない誰かを笑わせてみたい。でもなんか吹き溜まりみたいな文章しか書けないんだよな…と思った後、最後に人といて大笑いしたのがいつだったか思い出せないことに気がついて足元が少しぐらつく。
昔は今より鬱々とした気持ちで過ごす日々も多かったのに、どうでもいいことで大爆笑して笑いが止まらなくなったり、数時間経っても思い出し笑いできたり、涙が出てくるほど笑うこともしょっちゅうあった。いつの間に笑わなくなったんだろう。
いや、笑ってはいる。笑ってはいるんだけど、大抵は、笑っていれば場が和んでうまくまわるとか、表情筋につられて自分の気分も軽くなるとか、今まで生きてきて得た知恵に拠って、自動で瞬時に笑顔をつくっているだけで、いつも心から面白いとか楽しいが先にあるわけではない気がしている。
面白い文章や動画に出会ったらフフフッくらいは笑ってるし、猫のなりふり構わない行動には毎日笑ってるし、上司がたまに言う本当に面白い冗談には本当に笑ってるし、芸人みたいな友人と会う時間はずっと笑ってたりする。でもそれ以外の7割くらいは嘘の笑顔をつくっていて(人間は社会的な生き物だから嘘とはまた違うけれど)、しんどいほど笑うことが減った。
そこそこ長く生きてしまうと、まわりの人たちの人生にも重たい話が増えてきて、みんないろいろあるけど笑っている、いろいろあるけど笑っていたい、みたいな、笑顔の中にある種の悲しみや願いのようなものが混ざってくる気がする。
そして経験が増えて何かを知っていくほど内側は複雑になっていくから、単純な笑いの爆発が起こりにくくなるのかもしれない。
だから、そんなに大笑いしなくなった自分を寂しい人間になってしまった…と嘆くより、ここまで生きてきたんだなぁ…としみじみ感じ入るのが正しい。多分。
でも、もはや何が面白いのかよく分からないのに息ができないほど笑いが止まらなくなってしまう、あの「感じ」も、日常の中にときどきあってほしいと思う。