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消えてゆくのに なぜ

人はやがて
消え去るの
すべてを残さずに
綺麗にいなくなり
愛も傷も
海の砂に混ざり
きらきら波間に反射する

今のうちに
旅をしよう 僕らは
悲しみにひらひらと手を振る
窓を開けて 風に笑み
意味なく生きては
陽射しを浴びている

過去 背なに雨
目の前には
まだ知らぬ景色

惹かれ合うのは なぜ
ただ「見て、綺麗」だと手を引いた
海にゆれる 光の跡
消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 終わりは
未来だ

繋ぐその手
やがて解けゆく
足跡はいつしか
止まるはず
それはまるで
訳もなく輝く
貴方の笑顔の意味と知る

肩 寄せたまま
願うことは
黄昏の中に

抱きしめるのは なぜ
ただ 保存できない心ごと
包み込むように
ほら 景色が
増えた

見つめ合う
無為が踊る
手を繋ぐ

笑い合うのは なぜ
ただ 朽ちるしかないこの時を
僕ら燃える 命の跡
消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 出会いは
未来だ

(『光の跡』 星野源)


あまりにも歌詞が良すぎて全部載せてしまった。

『ばかのうた』から『YELLOW DANCER』あたりまで、熱心な星野源のリスナーだった。『POP VIRUS』以降は、だんだんと離れてしまった。当時の私にはとても眩しく感じて。

去年、紅白の選曲が物議を醸しているニュースを見て、久しぶりに星野源の曲を聞いた。そしたらなんだか、とてつもなく刺さってしまった。

私のお葬式で流してほしい曲(お葬式はやらなくていいのだけど)第一位は小沢健二の『天使たちのシーン』だったけど、星野源の『光の跡』も流してほしい。

歌手として歌いはじめたばかりの頃の星野源は、どこか恥ずかしそうな雰囲気を漂わせながら、ひっそり歌ってる印象があった。
カクバリズムからアミューズに移籍してアー写がすごくオシャレになって、根明が炸裂して(すごい根暗な人ってすごい根明でもあると思う)、どんどん売れて、どんどん変わっていったように見えた。

でも、改めて音楽を聴いたら、本質はぜんぜん変わってなかった。久しぶりにオールナイトニッポンも聞いてみたのだけれど、ぜんぜん変わってなかった。下ネタも変わってなくて安心した(あとラジオってやっぱりいいなと思った)。

相変わらず、優しくて温かくて柔らかで真っすぐな心で、前よりもずっと、「今」や「生活」を大切にして生きているように感じた。

“笑い合うのは なぜ
ただ 朽ちるしかないこの時を
僕ら燃える 命の跡
消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 出会いは
未来だ”

この歌詞が刺さって刺さって仕方がない。

私たちは消えてゆくのに、本当になぜなんだろう。いろんな気持ちに、瞬間に、苦しくなったり嬉しくなったりしながら、ちっぽけな光として存在する私たちと、この世界の不思議を想う。

忘れたくない思い出をたくさんつくりたいと思う。この世を去るときに持っていけるのは思い出だけで、思い出をつくれるのは「今」だけ。

だから、“今のうちに旅をしよう ”。

20代30代は、未来時間が果てしなく広がっているように感じていた。いつか、そのうち、と先延ばしにしたこともたくさんあった。
未来が少しずつ閉じていっている今は、今やらなくていつやるんだ?!とすぐに思うようになって、先延ばしは格段に減った。

出来る限り、やりたいことはやって、伝えたい言葉は伝えて、会いたい人には会うようになった。

閉じていくことも、枯れていくことも、消えてゆくことも、自然なことで、恐ろしいことではない。
そして、ものすごく悲しいことも、ものすごく寂しいことも、悪いことじゃない。悲しくて寂しくていいのだ。先にそれを見せてくれた、人や動物のおかげで分かった。

生き様と死に様を誰かに見せることは、全生物の使命のような気がしている。

今、今、今。
すべては今この瞬間にしかないということ。

私は、自分を開いて、いっそ明け渡して、思いっきり使い切って、生ききりたい。

そして、あー超面白かった!と思いながらこの世を去るのが夢。

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