愛について
若かりし頃、周りの人たちは毎日「死にたい」とか「消えたい」とか思ってないんだと知って衝撃を受けた。
それなのに分かったような顔で他人を「メンヘラ(笑)」と笑い者にしたりする人たちが怖かった。
分かったような顔をして誰かを笑いたくないし笑われたくもない。
だけど、私もきっとどこかでやってきたし、やっているのだろう。
多数派のふり、「まとも」なふりをして。
そんな人間であることが嫌になる。
ふと、こういう話を誰かに対面で話したい、という衝動に駆られる。
誰かの似たような話を聞きたい。
似ていなくても、心の内を聞きたい。
そう思うのに、私はどうしても他人と深く繋がれない。
結局は誰のことも信じていないから。
自分のことさえも。
いつもいつも、
自分で自分を愛せるように
自分で自分を助けられるように
そうならなくちゃいけないと思って努力してきたし、今も努力している。
それはそれで大切なことだとは思う。
だけど、切実に、誰かに助けてほしい、寄りかかりたい、と感じている自分もいる。
お金を払って話を聞いて対処法を教えてくれるプロのカウンセラーじゃなくて。
私という人間と、対価なしに、ただ共にいてくれる人に会いたい。
ただ対話をして、ただ傍にいてくれる人がいるなら、私もその人が必要なときに同じことができるなら、どんなに素敵な関係だろう、と思う。
ふと、もしかして、みんなそんな気持ちで恋愛したり結婚したりしているのだろうか?と思った。
私は自分がアロマンティック(他人に恋愛感情を感じない)と思っていたけれど、違うのかもしれない。
本当に愛されることも、本当に愛することもないまま、長く生きてしまった。
過去に私が好きだと思って執着していた人は、その人の中に自分の父親の影を追っていた。
過去に私のことが死ぬほど好きだと言った人は、巡り合わせがどうにもならないと言って他の人と結婚し家庭を成した。
その頃からとてつもなく遠くまで来てしまった気がする。
そこはかとなく寂しい気持ちになる。
自分以外の他人と通じうこと、分かりあうこと、愛し合うことは、どんな感覚なんだろう?
そんな体験を、本当の本当にしている人はこの世界にどれくらいいるのだろう?
真実の愛を知っている人はどれくらいいるのだろう?
エーリッヒ・フロムは「愛は技術」と言った。
そこに本質、私の人生のテーマがある気がしている。ずっと。
そう感じても、ありのままでは愛されなかった記憶が、子供の頃の傷つき、不安、恐怖の記憶が、すべてを回避しようとする。
それでも、冷静なふりをした分析や言語や論理をどうにか超えて本質に触れたいと思っている。
できれば現世で。