タイタニック号は、無駄遣い。
僕は物が欲しくなると、つい衝動買いをしてしまう人間だ。
移動式の本棚を買った時もそうだった。2年くらい前、部屋の中を本棚が自由自在に動き回ったら面白いと思って、即決した。本を読まない時には、押し入れにしまっておけば、部屋が広くなる気がしたのだ。
数日後、届いたそれは、僕が想像していた生活を叶えてくれるものではなかった。本棚には天井部分の板がないので、ホコリは入り放題だったし、部屋の雰囲気にもそぐわなかった。まるで和室にグランドピアノが置いているくらい、ぎごちない感じがした。
本棚は自在に動かすことができたが、それは条件付きだった。動かせるのは、本を並べていないときだけだ。本があると、本棚を動かすフローリンングが傷つきそうなほど重かった。いちいち動かすのは面倒だったので、次第にそれは、押し入れの奥に影を潜めていった。
僕は衝動買いの無駄遣いをしがちである。買ってから新たな使い方を発見するケースもあるが、それはまれだ。たいていの場合は、欲しい人にあげるか処分するしかない。
僕が初めて無駄遣いをしたのは、小学校4年生の時だった。当時、僕は分冊百科に異常なほど関心を寄せていた。同じマンションに住んでいた友達が「週刊そーなんだ!」を自慢していたからだ。
彼は、毎週届く子ども向けに科学知識を解説した冊子を専用のバインダーに綴じていた。漫画やイラストが施されたそれは、読みやすくて分かりやすくて、子ども心をくすぐった。
家に遊びに行くと、いつも決まってリビングに何冊ものバインダーが並んでいた。まるで僕に見てほしいために置かれているのじゃないかと疑うほど、それは不自然で目立つ場所に置かれてあった。
僕はバインダーを手に取って、ページをめくっていく。すると突然、彼は僕の手を止めて、「これはね」と横で解説を始める。バスのツアーガイドみたいに流暢に無駄のない説明をする。
彼の話をひと通り聞くと、僕は「そーなんだ」と言う。僕たちは、お互い顔を見合わせて笑う。
僕は、そんな彼の「週刊そーなんだ!」が羨ましかった。科学には興味があったし、集めているだけで賢くなってしまうような気さえした。
ある日、僕は面白そうな分冊百科を見つけた。『週刊タイタニック』だった。毎週パーツを組み立てていけば、約2年間で1/250のタイタニック号の模型が完成するものだった。
『週刊タイタニック』は、友達も気になっていた。彼は、それも欲しいけど『そーなんだ』があるから難しいと言っていた。これなら友達に驚いてもらえると確信した。
その日から僕の両親への説得が始まった。
まずは父親とのドライブのあいだ、タイタニック号についてそれとなく切り出した。父は物知りだったので、タイタニック号について知っており、僕も調べたてほやほやの知識を披露した。
母にも相談した。母は賛同してくれたが、頼んでいいかどうかは父親の許可が必要で、お願いするときは同席してもらえることになった。
それから父が会社から帰ってくると、僕は元気よく「おかえり」と言い、バッグを玄関で受け取った。不自然なサービスに父は戸惑っていた。
父が好物のビールと麻婆豆腐を食べているあいだ、僕の営業は始まった。初めは反対していた父も僕の熱量に負けて、買うことを許してくれた。やっと友達に自慢できると思った。
タイタニック号は、完成されないままに終わった。初めは毎日組み立てに夢中だったけれど、しだいに熱が冷めていった。いつまで経っても完成しそうにないからだ。
初めは手伝ってくれていた父も忙しそうにしていて、相手にしてくれなくなった。毎週、箱だけが届く始末である。契約上、すべての号が終わるまでそれは続いた。
買う前に感じていた僕の躍動感は消えていき、お金は海に投げ捨てたも同然だった。
タイタニック号は、無駄遣いだった。