書けそうな予感は、いつも突然に。
僕は最近、毎日noteを書いている。書いているというより、書けているの方が正確かもしれない。
noteに文章を書きはじめて3年目だけれど、これまでに書けなくなることが幾度となくあった。
「書ける→書けない→書ける」を繰り返して今があると思う。
お金を貰っているわけではないので、書かなくても誰かに怒られることはない。だけれど、「書きたいのに、書けない」のは正直つらい。まるで、足を骨折して、試合に出られなくなった選手みたいだ。
僕はこれまで、書けない理由は季節にあると思っていた。涼しい季節だと「文章を書きたい」欲が湧いてきて、暑かったり寒かったりすると書けなくなるものだと。
昨日、『書けない人に共通するたった一つのこと』という記事を読んで、それはただの言い訳だったことに気づいた。
さて、僕には、「文章が書けそう」という感覚がある。
これは、note投稿を始めたばかりの頃にはなかった感覚で、とつぜん湧いてくる。台所のゴキブリみたいにふいに出てくる。じっと見張っておかないと、見失ってしまいそうな感覚だ。
(例えが汚くて、申し訳ない。それしか思いつかなかった)
たいていは夜に出てくる。
僕は、寝る前に読書をするのが日課で、はじめに小説を読んで切りの良いところでぱたっと本を閉じる。それから、寝るまでのあいだエッセイをひたすら読む。
アイデアは、本を開いているあいだに浮かんでくる。まさに、夜の静寂を破って聞こえてくるヴォイス。
たとえば、昨日投稿した『アイスコーヒーで体を冷ます。』というエッセイを書いたときは、前夜にこんな言葉が浮かんできた。
僕は忘れないうちに、部屋に置かれたホワイトボードにメモをする。おそらくnoteの神様が囁いてくれたであろう言葉のカケラを拾い上げて、心のなかで反芻する。
考えを巡らせていると、「アイスコーヒーを作って、飲みたい」と心から思っていたからこそ出てきた言葉なのだと思った。noteの毎日投稿を埋めるためにこしらえた言葉ではない。
そして、急に暑くなったのはどの地域でも最近起こったことなので、今が狙い目だとも思った。多くの人が共感するテーマだと気づいた。
このように、後から論理的思考が感情を追いかけっこしていく。
でも、残念ながら、昨晩はそれがなかった。だから、この記事を書くことにした。
2022.6.26.