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いうほどなにも、考えてないよ。
※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新131日目※
文章を書いていると、なんだか「考えている人」だと思われがちだ。「いろんなことを考えてるんだね」「まじめだね」「すごいね」……。これは実際わたしが言われることでもある。
最初にそう言われたのはたぶん、mixiの日記についてだ。
日常生活から思ったことなんかをただつらつらと書いていたら、何人かから「そんなことまで考えてるの?」「意外にちゃんとしてるんだ!」と言われて、こっちがびっくりした。わたし自身、とくに何も考えず、ただ日記として適当に書いていただけだったから。
ライターになってもそうだ。毎日、何かを深く考えているわけじゃない。そんなことしてたら疲れちゃうし、そこまでわたしはストイックに生きてないし。
でも文章にすると、なんだか「考えてるふう」になる。なんでだろうね、ふしぎだ。
もしかしたら、文章にするとき、考えを整理して順序立てなきゃいけないからかもしれないね。その過程で、無意識にいろいろ考えているのかも。考えていることを文章にすることで明確になる場合もあれば、文章にしながら考えて理解していくこともある。
いろいろ考えてるから文章を書くんじゃなくて、文章を書くから考えてる。文章を書くために考えてる。文章を書きながら考えてる。そんな感じなのかもしれない。
ふだん文章を書かない人からすれば、それは「いろいろ考えてそう」に見えるのかもしれないね。でもだれだって、なにかを書こうとすればある程度しっかり考えると思うけどね。
文章を書く人間が、日常的になにかについてじぃっと深く考えているわけじゃないんだよ。みんな同じくらいちゃんと考えてると思う。よっぽどの能天気をのぞいて。
でもそれを文章にするとき、ある程度突き詰めたり、掘り下げたり、整理したりしなきゃいけないから、だから「すっごい考えてる人」に見えるだけでさ。みんな、そんなたいしたイキモノじゃないよ、きっと。
なかには単純にめっちゃ頭がいい異次元の人もいるけどね。そういう人は例外中の例外。みんな、いうほどちゃんと考えてないし、みんな、なんやかんやいろいろ考えてるんだよ。たぶん。
じゃあ、またあしたね。