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「世間が許す」って、なんだろう?

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新135日目※

雨上がり決死隊の宮迫さんをはじめとして、闇営業が問題になっているそうで。まぁわたし関係ないけどね。

でもすごい不思議なのが、その人たちやこの件に関するほかの人のコメントで、「世間が許すまで」「それじゃ世間が許さない」といったコメントをよく見かけること。まるで世間そのものが意思をもった集団であるかのような言い方が、すごく不思議なんだよなぁ。

人間の集まりが「世間」だから、そりゃ意思はあるだろうけど。でもそこまで統率された集団じゃないから、「お茶の間の皆さんに許してもらう」ってムリだと思うんだよね。そんなこと言って復帰したら、「俺はまだ許してない」って言うどこかの「世間の一部」の人が現れるだろうし。

不倫スキャンダルでもそうだよね。なぜ直接的に被害を被っていない画面の向こう側にいる人たちに許されなきゃいけないんだろう。というか、ほとんどの人には関係ないんだから、「気にするか気にしないか」ならともかく、「許すか許さないか」っておかしな話だよね。許すもなにも、お前はなにも被害被ってないじゃんっていう。

んーでもたとえば、極悪非道な殺人を犯した人がいたとして、そういうニュースを見ると、自分に実害がなくても「許せない」って思うこともあるよね。「ちゃんと裁かれてほしい」「こんな人がいるなんて!」みたいな。

だから一概に、「お前は関係ないから許すだの許さないだの言う資格はない」っていうのもちがうのかもしれない。

ただなぁ。闇営業や不倫はあくまで内輪の問題だから、その輪の外にいる人たちに「許される」のを請うのはやっぱりおかしい気がするんだよ。

あ、いま思ったけど、明確に法を破った人と、人道から外れた人のちがいなのかな。

明確に法を破った人は、法治国家では(情状酌量もあるけど)基本的には悪だよね。司法の判断に委ねられ、罪が認められたら相応の罰を受ける。罰を受けた人をさらに罰することは許されない。だからそこで、かたちてきには「清算したこと」になる。

でも人道から外れたこと、いわゆるモラルやマナー違反に関しては、法律では捌けないことも多い。そのぶん世間は、より一層怒るのかもね。「刑罰を受けなかったとしてもそれは許されないことなんだぞ! わかってるのか!」って。で、法で裁いてもらえないぶん、他人様に頭を下げて「許してください」って感情に訴えかけるしかない。司法で裁かれない罪は、謝罪パフォーマンスするしかないからなぁ。

なんでもいいけど、後ろ暗いことはやらないほうが吉。信用は一度失うと、いくら努力してもまったくの元どおりには絶対にならないし。

じゃあ、またあしたね。

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