ヤングケアラーだった私②
前回の続きです。
母が自宅に戻り、三人での生活が再度スタートした。
朝、夕に、ヘルパーが一時間きて母のためにトイレの介助や買い物をする。
私は保育園の送迎バスに乗せ、中学校へ行く。
私の通っていた中学校は田舎で全学年一クラスずつしかない全校生徒百人にも満たない小さな中学校だ。
ここでまず、小学校のときの話をしよう。
小学校五年の途中から転校してきた私。
これが全くといっていいほど馴染めなかった。
小学校五年の途中から転校してきた私はそれまで明るい子供だった。
前の学校では、一クラス四十人が二クラス。
クラスの皆とワイワイ給食を食べるのが好きで、休み時間は鬼ごっこやドッジボールをするのが好きだった。
転校した小学校は同じ学年は男女合わせて八人。
そんな十人にも満たないクラスによそ者が入ったらどうなるか。
大抵は仲間が増えて歓迎してくれる…なんて思う人もいるのではないだろうか。
それは違った。
女子はそのとき私のほかに三人。
この三人が非常に大人びていた。
クラス内で二人ほど幼いながらも「お付き合い」をしていたのだ。
そしてその他の二人はそれぞれクラス内と違う学年に好きな子がいて、転校してきて早々に女子三人に囲まれ「○○くんのこと好きだからあんまり、仲良くしないで」なんてそれぞれ言われて私は混乱した。
好きな人がいるのは前の小学校でも私にもあったし、それはわかるのだが、面と向かって「仲良くしないで」なんて、言われると思わなかったのだ。
一人は違う学年だから仲良くなんて無理だと思うが、同じクラスで八人しかいないのにそのうち二人とは仲良くしないでほしいと言われたことに、私はショックを受けた。
しかも下から上まで舐めまわすように見られて、クスクス笑われたこともあって私は恥ずかしいのと、恐ろしい気持ちでいっぱいになった。
クラスの女子のなかで完全に三人+一人(私)の構図が出来てしまった。
このときはひどく親を恨んだ。
勝手に離婚して勝手に学校を変えられたことに。
そしてそのまま小学校を卒業して中学校に入学するも、少し人数が増えただけで基本女子は同じ小学校の友達と固まって行動していた。
町内に小学校は三校あり、卒業したら同じ中学校に通う。
しかも私が転校する前まで同じ町内の小学校同士の交流会のようなものもあったらしく、私以外は皆顔見知り状態だった。
そのとき狭い町内で私の家の事情を知らない者はおらず、私は遠巻きにされていた。
しかも家の事で疲弊していた私は自分の身なりに気を配ることができていなかった。
ボサボサの頭、不摂生もあって肌はニキビだらけ、制服はシワだらけ。
今思えば遠巻きにされるのも致し方ない気もするが、当時の私は学校も苦痛でどこにも居場所がなかった。
誰も身なりの整え方なんて誰も教えてくれなかったから。
髪を整えて学校に行かなきないけないことも。
増えていくニキビの治し方も。
制服をシワだらけにして行くことが恥ずかしいことも。
私はどうすればいいのかわからないまま、ただ時が過ぎるのを待っていた。