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哲学#001.なぜいま哲学が必要なのか。

先日、拙稿『31.コオロギを食べるか否か、新生活様式に向かって岐路に立っている私たち。』でも述べましたが、いま、まさに大きな変革期を迎えているのだと思います。

産業革命を迎えた世界では、人間は機械の「歯車」のように働く存在となりました。毎日毎日同じことの繰り返し、自分が「歯車」のように思えた人は少なくないと思います。

そしていま、情報革命の変革期を迎え、人間は「歯車」から別の存在に変化しようとしています。それは人間というより、「何か別のもの」という予感がします。

コオロギに含まれるグラフェンを体内に取り入れることになれば、私たちの身体は「電池化」してWi-Fiを通して遺伝子にOSをインストールされ、「生体ロボット」のようになっていくのかもしれません。まるでSF映画のような世界が現実化していくということになります。「事実は小説より奇なり」です。

私たちはまさに「人間が人間ではなくなっていく」変革期に生きているのだと思います。
では、ここで考えなければならないのは何かというと「人間とは何か」ということです。いままで私たちは漠然と「自分は人間だ」と思い込んではいなかったでしょうか。「人間とは何か」ということを知らないままに。

ここに「人間とは何か」という「問い」「疑問」が出現します。これが「哲学」です。
人間」という概念が揺らいでいるいま、私たちはここで自分なりに「人間とは何か」という「問い」の答を出す必要に迫られているのだと思います。なぜかというと、それは「自分」という存在の運転席に「どのように生きたいか」という「意識をもった自分」がいなければ、ただ周囲に流されて「電池化」していく「身体(器)」がそこに存在しているだけになるからです。

その方が「」だと思う人は流されていけばいいと思います。それが嫌な人はここで頑張って考える必要があると思うのです。ここが分かれ道です。

人間が「奴隷労働」する存在となったのは「農業革命」の頃に始まったと思います。それから「産業革命」と「情報革命」と流れは続いています。
ほとんどの人がその流れに疑問をもつことなく、ただ流れに身をまかせて生きてきました。このまま流れて生きていくというのも、ひとつの生き方だとは思います。

しかし問題なのは、はそのような生き方は嫌だということなのです。たぶん私は、そのような生き方を強制されるぐらいなら死を選ぶ覚悟ができています。それは私の「我がまま」だと言われても関係ありません。私は同調圧力に流されるような生き方はしないと「選択」したからです。
なぜ私が、そのような「選択」をしたのか、ここで理由を述べておく必要があるのかもしれません。

実は私、2023年5月25日現在71歳です。第二次世界大戦が終わって7年後に生まれました。戦前と戦後では価値観が180度反転した社会だったためか、私の両親は子どもには「寝る場所・着るもの・食べるもの」さえ与えておけばそれが子育てと考えている人たちでした。当時はそれができるだけでも立派なことだったかもしれません。いまもそう考える人たちがいるかもしれませんね。

で、私は「寝る場所・着るもの・食べるもの」にはそれほど不自由はしませんでしたが、子どもながらも「何かが足りない」と感じ続けていました。そしていつも「早く人間になりたい」と自分でもなぜなのか理由がわからないままそう思っていました。
いま考えると、それは当然だと納得できます。なぜなら、人間は人間として育てられないと人間にはならないからです。
したがって、親そのものが「人間とは何か」ということがわかっていないと、子どもに教えることができません。
それが、71年の私の経験から導き出した結論です。

私は子どもの頃からのその「疑問」を抱え続け、考え続けてきました。高校生の頃、テレビで「妖怪人間ベム」というアニメが放送され、その主人公の常套句がなんと「早く人間になりたい」でした。私は激しく同感しました。自分はまだ人間になっていない妖怪のような気がして苦しい日々を送っていました。

いつどこで誰が生み出したのか誰も知らない、人間でも動物でもない異形の怪物「ベム」「ベラ」「ベロ」と名乗る3人の「妖怪人間」。時には人々に迫害され、また時には友情を育みながら、いつか人間になれる日を夢見て世の正義のために妖怪や悪人を退治するあてのない旅をしていく。

私はその「疑問」を解くために生きてきたと言っても過言ではないです。本を読み情報を集め行動しました。生活のすべてが、それを中心に動いてきました。要するに、好きなように生きてきたというわけです。
で、71歳の私がいま思うことは「好きなように生きてきて良かった。楽しかったぁ」なのです。なので、老衰で死ぬことは全く怖くありません。心は平和です。

どのように好きに生きてきたかというと、まず私は中学生の頃に「The Beatles」の洗礼を受けたビートルズ・エイジです。

The Beatles - Twist & Shout - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/23/64


北海道で生まれたのですが、高校卒業後に東京の渋谷にあった「原宿学校」という映画や演劇の仕事をしている有志の方々が後続の人々のために開いた一種の美学校のような専門学校に入るために上京しました。
そこで映画はもちろん「芸術の基本」をいろいろ学びました。そこで「バウハウス」の理念を学んだことも大きな収穫でした。

バウハウス」とは、1919年ドイツに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校で、いわゆる「モダン」発祥の地のような存在です。私はル・コルビジェミース・ファン・デル・ローエマックス・ビルオスカー・シュレンマーなどに魅了されました。
マックス・ビルの「スプーンから都市計画まで」という言葉に象徴されるように、生活用具から都市・政治のデザインまで幅広く扱っており、私からみればいわゆる「洗練」へ向かっていくプロセスを垣間見るという感じでした。

マックス・ビルがデザインした「ウルムスツール」。無駄な機能を削ぎ落とした美しさ、合理的で機能的、まさにバウハウスの概念をそのまま受け継いだ象徴的スツールと言われています。釘を一切使わない木組み工法。時にはスツール、時にはサイドテーブル、マガジンラックにもなります。 極限までにシンプルなコの字型で置き方や用途は発想次第です。

オスカー・シュレンマーが考えたバレエも面白かったです。
このような自由でお洒落な世界に、私は漠然と憧れていました。
Oskar Schlemmer - Das triadische Ballett


また、学校の近くには寺山修司前衛アングラ劇団「天井桟敷」という芝居小屋のようなものがあり、そこの人々とも交流してとても楽しかったです。いま思えば凄い時代でした。戦争が終わって新しい時代が始まったということで、みんな希望に燃えて時代を創造していく試みに夢中になっていました。

天井桟敷のポスター

私は勉強しながら渋谷のロック喫茶のウエイトレスをしたり、学校の紹介でラジオ・テレビ・映画の仕事もしました。テレビの子ども番組のシナリオを書いたり、広告のコピーを書いたりもしました。そんなことをしているうちに映画の仕事をしている男性と結婚し、専業主婦になりました。

当時は女性が映画などの仕事で生活していくのは難しい時代でしたので、専業主婦になって子育てするのもいいかと思い、まるでママゴトのような結婚生活を楽しみました。
ところがしばらくして、私の「サガ」が頭をもたげてきてしまったのです。「早く人間になりたい」というアレです。

よくよく考えてみたところ、私にとって結婚して子どもを産むことが「人間になること」だとはどうしても思えなかったのでした。
というわけで、相手の男性には本当に申し訳なかったのですが、まだ子どもが生まれていなかったので離婚することにしました。

これについては、「恋愛したら結婚する」「結婚したら幸せになる」という私の短絡思考が悪かったのです。とてもとても反省しています。これもしっかり「哲学」していなかった結果です。

というわけで仕事に復帰したわけですが、今度はできるだけ哲学的な知識を活かせる仕事を探しました。コピーライティングの経験を活かしてフリーランスで大手広告代理店の下請けで文化事業の企画やシンクタンクやマーケティングの仕事をしました。

ときは高度経済成長の頂点ともいえるバブル景気に向かっていた時代。アメリカの富と栄光の象徴であるニューヨークの超高層ビルロックフェラー・センターエンパイア・ステート・ビルを日本企業が買っていた時代です。働けば働くほどお金が儲かった時代。「24時間戦えますか」というキャッチフレーズのCMが話題になりました。

私の仕事場も「不夜城」と言われ、終電に間に合わずタクシーで帰宅する日々。タクシーで帰宅しても2時間ぐらいしか睡眠をとることができないため、会議室のテーブルの上で寝たこともありました。

遊びも派手で大きなレストランを借り切って誕生パーティなどもやりました。ディスコ「ジュリアナ東京」の名をご存知の方も多いのではないでしょうか。あんな感じです。
ちなみに、当時私が好きだったバンドは「The Cure」でした(笑)。

The Cure - The Caterpillar


そんな生活を送りながらも、沢登りというちょっとエキストリームなスポーツもやっていました。岩登りは岩壁を登りますが、沢登りは川の下流から滝を登っていきます。緑多い自然の川の中を移動するので、より自然に近い感覚を得ることができ、ちょっとした修験道のような面もあります。私はこれで多くの貴重な経験や気づきを得ることができました。調子に乗っていた頃は、毎週末に行っていたこともありました。プチ遭難して月曜日の朝まで山を下りてくることができなくて、そのまま会社へ直行し朝の会議にドロドロの登山ウエアのまま出たこともありました(笑)。
沢登りについては、次の動画が雰囲気がよく伝えられているので、ご参考にどうぞ。

SAWANOBORI: The Art of Scaling Mountain Streams | The North Face


仕事もできれば哲学系の仕事をしたくて哲学系の書籍をたくさん出版されている方の事務所で働かせていただいたこともありました。採用されたときは「これで好きな仕事をすることができる」と嬉しかったのですが、しばらく仕事をしているうちに、その方の哲学は衒学(げんがく)であり贋物であることに気づいてしまいました。そのときの失望感は半端ではありませんでした。
衒学とは、知識をひけらかして専門家のようなふりをすることですが、多くの人は哲学の達人ではありませんから、名の売れた人がそれなりのことを言えば、そこに価値があるように思ってそれを鵜呑みにしてしまうのは仕方がないことなのかもしれません。私もそのひとりだったわけですが、彼が本物ではないと気づいた自分を褒めてやりたいです。気づかなかったら、私は間違った道へ行ってしまったことでしょう。

そんなことをあれこれやっているうちに、コンピュータが出現しました。私は新しい玩具に夢中になりました。30年ぐらい前のことです。新しい世界が開けると思いました。幸運なことにMacintoshの仕事もNECの仕事も関わることができました。NECでは「トロン」の開発者の方々とお話する機会をいただいて、とても楽しかったです。
特にMacintoshの「Plus」はデザインが可愛らしくてとても気に入り、大枚をはたいて手に入れました。

Macintosh Plus

ちなみにMacintoshで最も好きなデザインは「Cube」です。洗練されています。美しいです。私は2台持っています(笑)。もうこのような美しいデザインのコンピュータは出てこないでしょうね。とても残念です。

Macintosh Cube

コンピュータの出現で、私はますます未来は明るいと思っていました。世の中、どんどん便利になり、みんなもっと自由に楽しく生きることができると…。
世の中に美しいデザインの「」があふれ、人間も知識を増やし「洗練」され、世界は良い方向へ「進化」していくと思っていました。
ところが、30年経ったいま、振り返ってみると、経済はどんどん落ち込み、日本人1人当たりのGDPは世界で27位にまでなっています。私の感覚では、いわゆる中間層の人が減って貧困層の人が増え続けている印象です。
私はといえば、とにかく生きることで精一杯で、それこそ「歯車」になってむしゃらに働き続け、その合間に「遊び」や「勉強」と忙しい日々が続き、気がつけば70歳の坂を越えていたという感じです。

ふと立ち止まってあたりを見回してみると、世界は「洗練」どころか、「野暮」「粗野」「低俗」「不躾(ぶしつけ)」なものであふれていました。
たとえば、2025年に予定されている大阪万博のキャラクターを見てください。

大阪万博公式キャラクター「ミャクミャク」

これ、美しいですか? 見ていて気持ちいいですか?
私は「妖怪人間ベム」より気持ち悪いです。いまは、これが「価値」とされているのです。いったいなぜこんなことになってしまったのでしょうか。
人間は「進化」するどころか「退化」している。というのが、いまの私の実感です。なぜか。
それはやはり人間が「人間とは何か」ということをしっかり考えて生きてこなかったからだと思います。目先のことに追われ、全体のことを考えずにただズルズルと生きながらえてきただけ。その結果が、これなのだと思います。

というわけで、いま、やはり「哲学」が必要だという思いにかられるようになりました。コロナ禍もそのきっかけとなりました。人間は大きな岐路に来ていると感じています。もしかすると、この文明そのものが限界を迎え崩壊するのかもしれません。そんな激動の時代に、強く生きていくためには、なおさら「哲学」が必要です。これは私の経験から言えることです。なぜなら、私はいままで「哲学」のおかげで強く生きてくることができたからです。厄介な家族や人間関係の問題も「平常心」で乗り越えることができました。。
振り返ってみると、この世は「苦しいこと」と「楽しいこと」が半々でした。真面目に生きていれば、「苦しいこと」ばかりが続くわけでもないというのが実感です。「苦しいこと」を乗り越えることができれば、そこに「楽しいこと」が待っているという感じです。よくできていると思います。
この世は美しく楽しいところ」でした。そう思えるのは「哲学」のおかげなのです。

で、私はいま71歳なのですが、若い頃に思い描いていた70歳のイメージというと「ヨボヨボ」だったのですが、実際71歳になってみて驚いているのですが、まったく「ヨボヨボ」ではないのです。
コロナ禍で免疫の勉強をして食生活を変えたせいもありますが、花粉症も腰痛もなくなり何の病気もありません。若い頃より体調も良く、頭も冴えています。未だに階段を駆け上がったりしています。
尊敬している葛飾北斎が70歳を超えたとき「自分の人生の本番はこれからだ」と書き残していますが、それ、わかるような気がします。
歴史家の田中英道氏も「70歳までは人生の予行練習」と書いておられます。

孔子論語に次のような一節があります。
吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。 五十にして天命を知り、六十にして耳に従い、 七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず。(私は15歳で学問を始め、30歳で独自の学問方法を確立し、40歳で迷うことがなくなり、50歳で自分の人生の使命を知り、60歳で誰の言葉も素直に聞くことができるようになり、70歳で心のままに行動しても道を外すようなことはなくなった)

私も自分の人生を振り返ってみて、そのとおりだと思います。「哲学・探究」を続けていれば、歳をとっても気力が衰えることはありません。
また、「経験」も力になります。視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚などの刺激を受けて蓄積された膨大な経験。これが統合されて「知性」でもない「感性」でもない禅でいうところの「悟性」となります。これも「哲学」です。

私の「哲学」は私ひとりの力で構築されたものではありません。いろいろな人々の助けがあって、いまの私があります。
私はいわば「あの世へまっしぐら」の年齢ではありますが、私の「哲学」を私ひとりのものとしてあの世へ持っていくのは勿体ないので、後続の人々の参考になればと思い、少しずつここに置いていくことにしました。

哲学」は山登りに似ています。自分自身の頭・手・足を使ってよじ登っていくのです。その体験を通して自分を内側から支えていく力が身についてきます。視野も開けていき、それまで気づかなかった事柄に感動したり、楽しめたりしていきます。「」を発見できます。
これからどんなことが起ころうとも、強く生きていける力を身につけてください。

この世を遊びつくしてみませんか?


もしも哲学がなかったとすれば、自分の考えに疑問を持ったり反駁したりせず、ただ流れに身をまかせ、見るもの聞くもの読むものをそのまま受け入れるだけになってしまうだろう。

プラトン『ソクラテスの弁明』より


【追記】
次回から具体的に「人間とは何か」など各論に入っていきます。


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