打たれたホームランボールにサイン〜物語を作るのは誰か
2020年シーズン、横浜DeNAベイスターズ対阪神タイガースの最後の3連戦。
シーズンが終わり、あれから1か月が過ぎて今更ではあるが、「あの出来事」について思ったことを書いておきたい。
舞台を用意する人々
この3連戦は10月30日(金)から11月1日(日)までの3日間、横浜スタジアムで行われた。
技術実証のため観客の入場制限は緩和され、2試合目と3試合目はスタジアムの収容人数に対し、約8割の観客が入った。
3試合目は2万7千人を超え、今年のベイスターズ主催試合で一番の客入りとなった。
そして、これはタイガースにとって今シーズン最後の関東での試合だった。
この3連戦で、タイガースの矢野監督は、今シーズン限りで引退する藤川球児選手の登板を考えていたと思われる。そしてまた、ベイスターズのラミレス監督も、その機会が訪れたら、藤川選手とかつてチームメイトだった大和選手を打席に立たせ、2人の対戦を演出することを考えていたのではないか。
そうして迎えた3連戦。
1試合目は延長10回で決着がつかず、引き分け。
2試合目はタイガースが序盤から大量得点で試合を有利に進め、9回表を終えた時点で3対13とリード。藤川選手が登板する絶好の機会が巡ってくる。
この日、大和選手はスタメンを外れ、8回裏まで出番がなく、最後の野手として残っていた。
9回裏、2死2塁。
矢野監督は、この回から投げていた能見選手に代わり、藤川選手をマウンドに送る。
そして、藤川選手がマウンドで投球練習を始めると、ラミレス監督が「代打・大和」を告げたのだった。
……おそらく試合を見ていた人の中には、途中からこの展開を予想していた人もいるのではないだろうか。
しかし、その先を想像できた人はどれだけいただろう。
15年のプロ野球人生で一桁しかホームランを打ってない選手が、このタイミングでホームランを打ったのである。
物語を作る人々
監督ができるのは、登板と代打の機会を作り出すまで。物語は、舞台に立つ者たちによって完成される。
「代打・大和」のコールに沸くスタジアム。
9回裏2アウト、ランナー2塁。
2ボール1ストライクから大和選手が振りぬいた打球は、タイガースファンのいるレフトスタンドへ吸い込まれていった。
三振かホームラン。
そんな場面で、ホームランだった。
大和選手がダイヤモンドを一周する間、スタジアムは拍手に包まれた。拍手をする観客の中には、多くのタイガースファンの姿もあった。
それは、この勝負に対してだけでなく、藤川選手・大和選手の2人が歩んできた野球人生へ向けられているようにも思えた。
――こうして、両監督によって用意された舞台は、多くの人が予想していなかった(であろう)結末を迎えた。
※
しかし、物語はここで終わらなかった。
その翌朝、藤川選手は自身のSNSアカウントで次のような投稿を行った。
引退表明後まもなく、「球場に来られない人たちのために」(*注)として開設されたアカウントだ。
メディアで「粋な采配」と書かれたあの打席は、ここから両選手とファンのものになっていく。
ベイスターズがサヨナラ勝利をおさめた3試合目の終了後、藤川選手のアカウントに、今度は大和選手とのツーショット写真が投稿された。
まさかの「肩にコッペパン」と「打たれたホームランボールにサイン」である。
そして、横浜スタジアムでは藤川選手の登場曲であるLINDBERGの『every little thing every precious thing』が流れる中、セレモニーが行われた。
グラウンドを一周し、スタンドに残るタイガース、ベイスターズ両ファンに別れを告げる藤川選手。ベンチには、その様子を見つめる大和選手の姿があった。
最後は藤川選手が大和選手をグラウンドに招き、抱擁を交わして、3連戦は幕を閉じた。
この余韻は、藤川選手のSNSアカウントを通じてしばらく続く。
彼らを応援するファンたちが、過去の写真を投稿するなどし、思い出を語り、藤川選手もそれに応えてくれたのだ。
※
3連戦が終わった夜、大和選手も自身のインスタグラムアカウントで、藤川選手のサイン付きホームランボールと、ツーショット写真を公開した。
「仲間」
この言葉に、3年前の大和選手の言葉を思い出した人もいたのではないだろうか。
「一緒に野球をやってきた仲間は永遠に仲間です。」
大和が18歳の大和に伝えたい事/吉田風取材ノート|デイリースポーツ online(2017年12月5日)
藤川選手のツイートに「仲間」の二文字を見た時、私はこの言葉を思い出さずにはいられなかった。
あの日から途切れていたものが、時を経て繋がったような気がした。
物語の新しい形
ただ、私はこの一連の出来事を、感動以上に驚きをもって見ていた。
藤川選手自身の手によって、私には想像もできない方向へと物語が進んでいったからだ。
もし藤川選手がSNSのアカウントを開設していなかったらどうなっていただろう。
大和選手のホームランはファンにどのように受け止められていただろうか。
「肩にコッペパン」「打たれたホームランボールにサイン」は生まれたのだろうか。
私の思いは、途切れたままだったかもしれない――。
「球場に来られない人たちのために」
「スター」とは、こういう人のことを言うのだろう、と思った。
※
2020年、コロナ禍によりプロ野球は大きな変化を強いられた。
新しい応援スタイルが生み出され、その中には今後定着していくものもあるかもしれない。
藤川選手はSNSを使って、球場に来られないファンも巻き込み、球団の垣根を越えた物語を作り上げた。
選手とファンの物語も、こうして形を変えながら紡がれていくのだろう。
*注 この言葉は、SNSアカウントのプロフィール欄に記載されていました。(引退された現在は、経歴が記されています。)
阪神藤川球児がツイッター開設「最後の戦いの場へ」 |日刊スポーツ (2020年10月15日)
*おまけ
NPBの公式サイトに「代打本塁打」の記録があり、あの日の大和選手のホームランもセ・リーグ27号として記録されています。
2020年シーズンの記録の回顧(各種本塁打) | 達成記録 | NPB.jp 日本野球機構
写真は2013年撮影、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)にて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?