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雲部!vol.43 リヒターの雲@国立西洋美術館
こんにちは そしてお久しぶりです
あまみのそらです。
上野の国立西洋美術館で開催されている「自然と人のダイアローグ」に行ってまいりました。もちろんお目当ては雲。雲を描いたもの、という点でいちばんインパクトを受けたのは、やはりというべきか、展覧会のみどころともされているリヒターの「雲」でした。
実際に見ると、思っていたよりサイズがとても大きかったこともありますが、なによりも「油彩」とは俄かに信じられない透明感、滑らかさに圧倒され、ぽかんと立ち尽くしてしまいました。
ふだん雲を眺めながら、水の粒と水蒸気の”あわい”のような、直に見ているのにピンボケのような、そんな光景を目にして無性に映しとりたくなることがあります。けれど自分に画力はないし、手元のカメラで撮っても決してあの”あわい”は再現されない。そのもどかしさたるや。
その”あわい”がリヒターの雲からはたっぷりと伝わってきて、「どうして?どうやって?」不思議さと羨望が入り混じったような思いでした。
キャプションを見ると、これはフォトペインティングという手法だそうです。写真を模写しつつ、輪郭を微妙にぼかすのだとか。
ちょっと話がそれるのですが、人の目がものを見るとき、デジタルカメラの画素数にあたる視神経の数は、現在のスマートフォンのそれよりもずっと少ないそうです。
なのに目で見たものに滑らかさを感じるのは、視神経が受け取った画像を、脳の他の部分の機能が補いながら認識しているからだそうです。記憶や経験などでしょうか。
リヒターの技法、絵を目の当たりにし、そうした視覚、知覚の不思議にも思い至りました。かつての印象派の画家の人たちがこの作品を見たら、羨ましく思う人もいるのではないかしら。
展覧会では他にも雲の作品が幾つかあったのですが、リヒターだけでこんな長文になってしまいました。
続きはまたこんど。
最後に、どうしても”あわい”を映しとれないけれど、映しとりたくてたまらなかったある日の空の写真を載せておきます。リヒターだったらこの空をどういうふうに描くのでしょうか。
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