母性からみる政治と芸術の立ち位置
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政治とは、社会全体に影響を及ぼし、社会で生きる個人の人生にも影響を及ぼす複雑な領域である。人々の様々な意志からどれを選び集団の意志とするかといったこと、人や社会がどうすれば平和で幸せであるか考えて行動する仕事である。(Wikipedia参考)
政治家の汚職事件、会食接待問題をニュースで見かける。なぜ政治を私利私欲に使い私物とするのか…。詭弁を正論に最もらしい反論をしてその場が過ぎてゆく。人の意見を聞くそれは、会議室では足りないのか、足りないとすればそれは私欲が絡んでいないか…疑問になってしまう。
政治とは見返りを求めずする仕事の権力者である。素晴らしい人々に尊敬される仕事だ。しかし、権力だけを手にして何が残るのだろう。
見返りを求めない。私にとっては特に母親が思い浮かぶ。子供が健康で元気であれば何も要らず、顧みず仕事、育児をこなしている。捨身で子供を守り身を挺して助ける。根底にあるのは、子供の幸せだ。
政治家とは母親ではないか。国民は子供ではないか。愛を受ければ、恩返ししたいと思うのが人の道理である。愛の為ならば、苦しくても乗り越えてその人の為に力になりたいと思う。
政治家は、母性が大切なのではないか?女性から習う所の一番は何か。全ての人間には親がいて、愛を求めておっぱいに辿り着き、飲み育った。だから、誰でもわかる筈だ。(実の親でなくとも、誰かに何かの社会に育てられ人は育つ。)
国に期待できないならば、家庭の中は愛に満ちていて欲しい。やがて、愛されて育った子は社会を創る。税金を納め、投票に行き、政治に対して声を上げ始める。だから、今子育てしている人を社会は皆んなで守らなくてはならない。その為にも選挙は行こう。政治家はこう在るべきだと声を上げて、政治に使われるのでなく人の為の政治にしたい。
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子供の数が少なく成る程社会に出てくる大人は減る。将来はもっともっと少ないだろう。その時税金は当てにならないかもしれない。そうならない為、今私達は何が出来るのだろうか。
義務教育はその国のレベルを決める物だと思う。底上げは大切である。今は時代の進み方が早い。トップの権力者の判断や改革のスピードが求められる。
今の子供達が平等に社会の仕組みを知り、利益を貰い、行政機関の仕組みを知り、社会に出た大人になった時の為の授業を平等に受けさせたい。
小さな家庭の中で、自分の立ち位置を知らずに過ごしてしまうより、社会の構造、立ち位置、世界の中の日本、政治、討論を覚えて欲しい。
生きるとは大変な事が多く、医療制度や福祉、知っておいた方がいい事は山ほどある。
人を使う為創るのでなく、人が生きる為の教育を学びを子供達へ贈りたい。
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そして、芸術である。芸術は心の癒し拠り所だ。何か生き辛い、どん詰まりにハマった時の抜け道が芸術である。綺麗な景色、文章をつづる、絵画で自分を表現し輪郭をなぞる、写真を撮る、音楽、運動機能を昇華させる様々な芸術がある。
辛い事があった時、文字を書き、絵を描き、全速で走ってみよう、無になりその時の自分が垣間見える。そして、無になる事が癒しだと気付くだろう。そして老いた時、子供や若い人達の芸術に癒されるだろう。
言葉がいらない、世界が一つになる芸術がそんな物であれば、私は嬉しい。
※これは個人の感想であり、1人の狭い視点です。まだまだ勉強中です。きっと私が考えている事なんて皆が思っていたり、もう動いていて私は置いていかれているでしょう。私に今一番出来る事は子供を間接的にでも幸せにしたいと思っています。少しずつですが、動きます。