孤独について

孤独という病

孤独とは
それは、他人の立ち入らない領域である。
誰かと孤独について話し合うことなんてないだろう。
私はずっと、独りでこの話題について自問自答してきたのである。

一人でいれば孤独なのかというと、そうとも限らないし、
誰かといれば孤独ではないとも限らないのである。
孤独とは特に、本人の内面的な要素である。

私は客観的に見て、どうしても孤独を感じてしまうような
環境にいたわけではなかった。
片親でもなければ、いじめられていたわけでもない。
ただ昔から、人より少し考えすぎるタチであった。

思春期ならよく起こりうる人間関係のいざこざに怯え、
同級生を訝しんでいた。
心を許し、信用するというのが苦手であった。

友達ができず、やっぱり寂しかった。
クラスメイトに迎合すればよかったかもしれない。
しかしそれは、愚痴を言う・言われる関係に巻き込まれることであった。

自分に自信がなかったから、
自然界で言うところのウサギくらいのポジションだろうと思っていた。
食われるのは絶対に嫌だから、洞穴に身を潜めていた。

クラスでは一人で本を読むか勉強をするか突っ伏していた。
部活と夜のゲームが生きがい。
そんな中学時代を過ごしていたから、
それ以降も人と関わるのが怖かった。

高校生になってから、哲学的な問いにハマってしまった。
○○とは?というテーマを半永久的に自問自答する。
この頃が私にとっての今の孤独の理論に大きく影響している。

高校1年の終わりごろ、コロナによる休校で、孤独は加速し、
さらなる底を知った。
わけもわからず自室の壁を眺め続けた。
身を投げ出す想像を何度もした。

ここで分かった。
人は、少なくとも私は、孤独によって死んでしまうと。
どうしようもないと、諦めがついたのである。

そもそも、人は一生一人である。
自分の感覚は自分にしか分からないし、
自分の考えを完璧に理解してもらうことなんてできない。
一人というのは全く当たり前なのである。

孤独というのは、人は一人ではないはずだという
思考から生まれるものである。
しかし、この思考から抜け出すのは難しい。
きっと、社会性を持ったヒトである
我々の遺伝子に刻み込まれたものであるから。

人は一生一人だ。
ただ、誰かと一緒でないと生きていけない。
これが、孤独という病とうまく付き合う考え方である。

大学生の今、人と深くかかわるのが苦手な私は、
浅く広い人間関係を築いた。
質がダメなら量である。
誰かといれば、孤独は紛れる。

中高のブランクがあるので、ぶっちゃけ人づきあいは下手くそであるが、
孤独に悩むことは減ったように感じる。
しかし、究極の孤独というのは病であり、その後遺症なのか、
たまにひどく寂しさを感じるし、自分の殻に閉じこもりたくなる。

それがこれを書いている今である。
きっとこれからも孤独と付き合うことになるだろう。
そんな時は、文章や音楽に昇華してやろうと思うわけである。

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