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旅あと日記(2)🚃

こんばんは。お疲れ様です、藤山ツヅリです。
旅あと日記part2です。
つまり、2日目のプチ旅行について
書いていこうと思います!!!
ではでは、どうぞごゆっくりと☺︎



−Kyoto Kawaikinenkan−
5.29は、京都の清水五条駅にある“河井寛次郎記念館”を訪れました。

記念館の外観写真

河井寛次郎さんとは

明治23(1890)年8月24日島根県安来に生まれる。

松江中学校卒業ののち、東京高等工業学校窯業科に入学。
大正3(1914)年、京都陶磁器試験所に入所。

大正9(1920)年、現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持ち独立、つねと結婚。大正13年には娘・須也子をもうける。

大正10(1921)年、「第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり、作品を発表。 作風は大きく、三期に分けられる。中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期。

昭和12(1937)年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。

昭和41(1966)年11月18日、76歳で亡くなる。

http://www.kanjiro.jp/profile/
2階

昭和12年(1937)に自らが設計し建てた工房と自宅が、昭和48年(1973)から記念館として公開されています。

記念館の中には、河井寛次郎さんが作られた想いのこもった工芸品が沢山展示られています。
写真には収めませんでしたが、どれも魅力的な作品ばかり。
河井寛次郎さんは、自宅で民藝について人々と語り合った事から、ここは“民藝の始まりの地”とされているそうです。

河井寛次郎さんに興味がある方は以下のリンクから飛んで下さい。


河井寛次郎記念館を経て、河原町の高島屋のレストラン街で食事をしました。

7階 中華料理店 “糖朝”

私はホタテのお粥を注文し、Luluは五目粥を。
そして海老焼売を1つずつ分け合い、食事を楽しみました。日本のお粥は、体調不良の時に食す場合が多いので味付けは薄いですが、中華のお粥は日常的に食すようにされているのか少し濃い味付けでした。

Luluも私もお粥に絶賛していて、これからは中華のお粥巡りも始まりそうな予感です。(笑)

               −藤山ツヅリ−

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