酔生因記:理論武装
鈴木崇馬です。いい加減に明るい記事も書きたいのですが、なかなか体調も整わず、うずうずとする日々が続いております。私の場合、少し疲れただけでも落ち込んで死にたくなるし、幸せな時も自己嫌悪からか背徳感を感じて苦しいし、何が楽しくて生きているのか分からないこともあります。
それでも、こうして記事を書いていると少し気が楽になるのはどうしてでしょうね。言葉にして決めつければ、不快感も消えるからでしょうか。言語化するという行為のすばらしさは、また別の機会に触れると思いますが、言語化する行為に支えられて僕は生きている気がします。
今回は理論武装というテーマでお話をします。人間は少なからず、自分を守る生き物です。むしろ、生き物である限り、自分の命を守ろうとしてしまうのは当然だと思います。しかし、身を守り続けてきて、何かが変わった気がしないんです。むしろ、傷ついた時ほど成長が早い気がします。
そのような話をしたいです。
理論武装をする
素のままで生きるというのはとても怖いことです。仮面をつけないということは何かがあれば全てを自分で受け止めることでもあります。だから、素のままで生きるのは言い訳もできないことであって「理論武装を捨てる」行為なのです。
理論というものは出来事と自分を隔てる防護壁です。言い訳すれば逃げられると信じた甘えだと思うし、理論そのものが後付けの場合が多く、感性を肯定しない物です。だから、理論武装をしている間は自分の感性を否定するでしょうし、何かがあれば良識などのあやふやなものに頼ってしまいます。ただ、自分が傷つかなくて済む。それが理論武装です。
私は理論武装をして生きてきた人間だと思います。その根底には低い自己肯定感があり、他人を基盤とした自己否定の生き方が証拠です。理論武装をしない人間だったら失敗を跳ね返すだけの自己肯定感があると思います。しかし、私にはそれがありません。
他人に生かされてきた人生
私の人生はとにかく他人が導いてくれる人生でした。幼いころは父親がやればいいことを教えてくれました。成長していっても、友達やら支援者やらが語った理想を目標に頑張ってきました。そのせいで、自分で目標を作るのが苦手です。「本当に自発的に何かをしたことがあったっけ?」と思うほどです。誰かの影響を受けて始めたことばかりの人生なので、自発的に始めたことを信じようとすると文章創作しか私には信じるものがなくなってしまいます。もしかしたら、物語や文章だって誰かに触発されて始めたことなのかもしれませんが、思い出せません。むしろ、思い出せてしまったら、私には何もなくなってしまうので、思い出せなくていいです。
私には「頼られたら断れない、断れなかったから真面目にやる」という流れが確立されています。なので、頼まれたことを優先してしまったがために、まともに自分のケアなんてしてきませんでした。そのうえ、頼まれていないことさえも察知しようとすることがあり、他人に尽くそうとします。さらには、自己肯定感が低いので自分のケアをするどころか自傷のように苦しむことを好みます。その結果、私は直さないといけない性格を直せないまま、今を迎えています。諸悪の根源は性格、もとい、人格にあるとわかっているのに直せなくて、もどかしいです。
ついでに言うと、私の人格的な問題として、自己同一性がない感じが気になります。欲や衝動に操られる自分と理性的な自分の二人がいて制御権を奪い合っている感覚があるんです。そのせいで、自分の芯となるものがなくて、実体さえもないかのような感覚がします。
その結果、どっちの自分が正しいのかさえも分からなくなってしまいます。今、誰かと一緒にいたいと思うことは本望なのでしょうか。誰かに傷つけられたくて一緒にいたいのか、誰かと一緒にいたいから一緒にいるのか。分からないんです。しかも、傷つきたいと思う自分が正しいかすらもわかりません。「楽な方を選べばいいよ」と気軽に言う人もいますが、どちらを選んでももう一方の自分から罵倒を浴びるような苦しみが与えられるので私は何かをすることが怖いです。どっちを選んでも楽じゃないから、僕はその時の直感で動いてきました。その結果、悲惨な過去が生まれたのですが、直せる気がしません。
それでも、一生懸命に前を向いていました。それは他人が私を励ましてくれるからです。何回か自分の中で出てきた表現なのですが「他人に延命されていた」からです。他人なしには私が今、生きていることはないでしょう。そうやって他人に依存して生きてきたからこそ、私は自分で決断して生きるのが怖い。何もかもが手詰まりに近かったです。
仕事と不調
それでも、私はお仕事をしていました。ただ、毎日が期日のようなプレッシャーのあるお仕事で、就労継続B型の作業所で行う仕事としては少し負担が大きかったようにも感じます。
少しでも調子を悪くして、文章が書けなくなれば、蓄えていた記事が消えてしまう恐怖と戦いました。毎日頑張ることからの圧迫感もつらかったです。しかし、この仕事は自分のために生まれたような仕事で、簡単に放棄したくなかったし、楽しかったから疲れも忘れて頑張れてしまいました。
その結果、私は仕事さえもできなくなりました。私には悪い癖があって、不調な時ほど不調を感じさせないようにふるまってしまうんです。その根底には「平気な自分」を演じることで他人だけでなく、自分をも騙そうとする意図があったのですが、そのせいで誰も私の不調に気づいていませんでした。その結果、待っていたのはセルフケアを怠ったことによる必然的な体調不良です。プライベートでも彼女と別れるという大きすぎる出来事がありました。それさえも、仕事のストレスで彼女に対しての態度が悪くなっていたのかな、とか思うと何が原因かわからなくなります。
ただ、その結果として僕は人間らしい生き方がわからなくなってしまいました。一時期は、寝転がったまま起き上がれなくなりましたほどです。トイレにさえも行けず、便を漏らし続けたこともあります。相当に疲弊していました。
正直、ここまでの不調は経験したことがなく、凄く恐怖を感じています。何をするのもだるくて、現実逃避にスマホを眺めていなければ発狂してしまいそうなほど、虚無感が強かったです。
私にとって、スマホアプリで作れるような緩い関係(会うことができない関係)というのは、とても気が楽になるものでした。簡単に切れてしまう不安はありますが、いやなことがあれば簡単に切れるというのもなかなかな強みでした。なので、僕にとってスマホで作れるネットの関係は凄く心安らぐものでもあったんです。ただ、依存的になってしまう部分はあったので、そこは反省しないといけないかもしれません。しかし、今の僕に欲しいのは安心できる居場所だったのは間違いありません。
救いのない医療と福祉
ただ、医療や福祉はインターネットに依存する私を問題視しました。仕事にもいかずに引きこもっていれば当然かもしれません。しかし、私には現実を耐えられるほどの余裕がありませんでした。
しばらく休みたい。
それが本音だったのにもかかわらず、医療と福祉は「とりあえず日常を維持しろ」と責め立てるのです。私は医療も福祉も嫌になりました。お薬を飲んでも劇的によくなるわけでもないし、カウンセリングだって時間をかけてきたけど効果が出ている気がしない。福祉に関する人たちも励ましてくれるけど僕の性格を変えてくれるわけではなかった。そうやって根本的な自分の性格が直らないため、苦しみが続くと感じて絶望しました。
だけど、何もかもを拒絶していたら、医療は力があるので入院をさせて自由を奪えばよいと考えてしまいます。ひどいものです。確かに無収入で生活なんて維持できないのだから働かざるを得ないのもわかります。ただ、無理やり働いても壊れていくだけなのに。そう思いながら、私はしぶしぶ、医療と福祉に従って働き始めました。もちろん、調子は良くなっていかないです。外に出て、疲れたら死にたくなって、支援者に八つ当たりして。そんな生活をしていて苦しくて仕方ありません。
自傷の始まり
やはりつらいものはつらいんです。その絶望の末に、私は思い切ってSNSを実名でやり始めました。今まで自分を守るために芸名やペンネームを使っていたので、これは壮大な自傷です。絶望しているくせに何をしているんだ、と思うかもしれません。だけど、傷ついたことでなぜか安心してしまう自分がいました。「傷つけることで服従させる」方法をとることで、私は自分の制御を取り戻そうとしていたからです。
後遺症のように、私はお昼ご飯を食べなくなりました。無理して空腹感を満たさなくても生きていけると気づいてしまったからです。もちろん、お腹は空いているし、食べ始めれば食べることはできるでしょうが、食べ始める必要性を感じなくなりました。相当、限界が近づいているのに、ご飯を食べたいと思えないんです。むしろ、食べたくない。だって、ご飯を食べる時間があれば読書とか執筆とかやりたいことができるんですもの。一日に二食も食べれば大丈夫と気づいてしまったせいで、私は多分、これからもお昼ごはんを食べないと思います。お金もかかるし、金銭的に困っている私が用意できるお昼ご飯のエネルギーなんて大したことないですから、食べなくても変わりません。ただ、その分、自分に負荷をかける度合いが高くなったような気もします。精神的な自傷が過激化しているのでしょうね。
弱っていない自分を制御できない自分も情けないですが、弱らせて服従させようとする感覚は親から植え付けられたものだとも感じます。私は結局、親と変わらない人間だったと気づいて絶望します。そうやって自分を弱らせては自分の制御権を奪い返していく。辛くて厳しい作業を今も続けています。
この世界に救いはないのか
救いはどこにもありません。他人が救えるものではないし、自分で解決できるものではなかった歴史があるので永久に解決しないでしょう。
ただ、私は実名でSNSをやることによって「理論武装を脱ぎ」ました。守っているものを捨てて、世界に飛び出したんです。揺らめくろうそくの火はランタンのように囲われていなければ嵐の中で消えてしまいます。しかし、嵐の中でも消えずに残ることができたなら、嵐を超えた先で僕はもっと強く燃えることができるでしょう。
正直、デジタル・タトゥーだと思います。黒歴史になりそうなものをSNSに出しているし、まともなことになる予感はしません。ただ、それでも。自分が生きた証を誰かに見てもらえるというのはどこか嬉しくて、素の自分をやっと認めてもらえるのかなと期待している自分がいます。
諸悪の根源である理論武装は今日も私を現実から突き放す壁となっています。いつになったら私は現実に生きることができるのでしょう。分からないけど、僕は今日も延命されたままに生きています。
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