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食歩記【人は舌のみで味わうにあらず】ー 初恋物語としての『苺のパフェ』

初恋物語としての『苺のパフェ』
ー 浅草・フルーツパーラーゴトー


まさかこの歳にして、パフェに目覚めるとは思わなかった。 
 
パフェと言えば小洒落た器に甘味が詰め込まれた女の子のスイーツ。
見た目がきれいなだけで、何だか無理があるという印象。
だから自分には関係のない食べ物として見過ごしてきたのである。
しかしながらその自分が、今ではおいしそうなパフェを探しては、
浮き浮き気分でお店に出かけるようになった。
人生とは実にわからないものである。
 
きっかけは、何気なく見ていたテレビ番組だ。
NHKの『美の壺』というアートを紹介する番組である。
その番組で珍しくパフェの特集をやっていたのだが、その中で次々と映し出される美しいパフェと作り手のインタビューに魅了されてしまったのだ。
中でも僕の興味を最もそそったのは、あるスイーツ店主の言葉である。

彼がパフェを考案する時、考えるのは「物語」だという。
パフェは通常ガラス製の細長いシャンパングラスで供される。
つまり食べる人は、自然にグラスの上の層から下の層へと順々に食べ進めて行くことになる。それは例えるなら、作り手が考えた起承転結の物語を体験してゆくようなものだ、というのである。

確かに考えてみると、一つの器で供される食べ物で、作り手が考えた順番でにそれぞれ異なった食べ物を食べ進めて行くというのは、パフェの他にないのではないか。フルーツやジュレ、アイスクリーム、チョコレート等の層は、小説や音楽の各章に相当するのだろう。
食べ手はそれを様々な感慨と共に食べ進め、エンディングを迎え、口中に余韻を残して幕は閉じられる。
とまあ、大げさに言えば、パフェとはそんな食べ物なのだという。

面白い、と思った。

これは是非その視点でパフェを頂かなければ、そう強く思ったのである。

    ※      ※      ※

 
記念すべきパフェ第一弾を食しに行った。
場所は浅草である。
店の名はフルーツパーラーゴトーという。
世界中から訪れるインバウンド客でごった返す浅草雷門を抜けて、人通りも落ち着いた地元商店街の中にあるパフェ専門店である。

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