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『多数の正義』 ー 皆んなが言ってる、は正しいか?

集団の中で何かを決める時、多数決が用いられる事が多い。

しかし、そもそも、より多数である事を根拠に、
「それは正しい」と言えるだろうか。

これには大いに疑問がある。


例えば、「1+1=」の答えを聞かれれば、皆が正しく問題を理解し、「2」と正解を答えるだろう。

では、「2.5×59.6=」はどうだろう。

間違える人が結構出てくるのではないだろうか。

更にSign、cosineを使った問題ではどうなるだろう。

理解出来ない人、間違える人の数は更に多くなってくるのではないだろうか。

こんな風にどんどん問題を難しくしていくと、正解者の数はどうなっていくだろう。

正解者数はどんどん減ってくるはずである。

つまり、問題が難しくなるほど、それを正しく理解し、正解を出せる人の数は少なくなり、逆に間違える人の数の方は、どんどん多くなっていくのである。

これは数学に限ったことではない。
他の科目においても、また政治や社会や、あらゆる課題においても同様だろう。

この現象から言って、対象が難しい時、多数派は少数派より正しいはずだ、という世の中の常識は全く成り立たないのである。
それどころか、対象が複雑で難解な場合は、正解を出せる人の数は常に少数なはずで、大多数の人は間違えるはずだ、という逆のテーゼさえ成り立つこととなる。

これをごちゃごちゃ説明せずに端的に言えば、簡単なことは誰にでも理解できるが、難しいことを理解できる人は少ないものだ、という当たり前の話になる。
 

この理屈を利用し、より多数から支持されたければ、難しいことを言わず誰に、でもわかる簡単なことだけを言えばよいことになる。

実際この原理を利用する人は日本にも世界中にも、そして歴史上にも山ほどいる。

政治家はより多くの支持者や賛同者を得るために、誰でも理解できる簡単なフレーズを連呼し、重要だが難解な政策ではなく、単純に感情に訴える。
「Yes We Can」や「◯◯ファースト」等のフレーズが記憶に新しいが、より多くの人の支持が欲しければ、より主張を簡単にすることが重要だと彼らは知っているのだ。
彼らは政治的にはポピュリストと呼ばれることがある。
 
簡単にすることで理解者が増えることの重要性はセールスや承認の世界にも反映される。
今まで日本の歴史上で一番売れた音楽レコードをご存知だろうか。
それは、『およげたいやきくん』である。
その数、実に454万枚の大ヒットである。
小さな子供達から大人、お年寄りまで、あらゆる人にその単純な面白さが伝わった結果だろう。
より音楽性が高く優れた楽曲が、より多く売れる訳ではない。
その曲の良さがわかりやすく、より多くの人に伝わる事でセールスの数は
大きくなるのである。

このNoteのスキ、ビューの数にもその傾向は表れているだろう。

数を増やしたければ、より簡単に、誰にでもわかるように書くと良いと思う。
 
いくつか例を上げたが、これらから言って、少なくとも日本人お得意の、「皆がそう言っているから正しい」、
という判断基準は、捨てた方が良いと思うのである。


多数である事と正しい事とは、そもそも関係がない。

多くの人に支持されているものが、より優れている訳でもない。
多くの人と同じ事をすれば、良い結果が待っている訳でもない。

日本で生きる上で、これを頭の中に入れておかないと、
周りの多数派に人生そのものを合わせ続けることになり、
本当に自分が望む幸せをつかむことが出来なくなる。

自分は皆と違うな。少数派か。いいじゃん、むしろ正しいかも、と思うこと。
これはかなり大切なことだ。
皆と同じでなければいけない、という日本独特の多数派の呪縛から自由になれる。

人生の選択もまた難問だらけだ。

自ら沢山の事実を集めて、自分の頭で分析して、考えて抜いて、選択すれば、それが自分にとっての正解だろう。

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