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『山田太郎ものがたり』から考える親と子の関係

最近、TVerで配信されている『山田太郎ものがたり』を見ています。

エンタメとして楽しく見ている一方、親が子に及ぼす影響について考えさせられるシーンがあったので、考えたことを書こうと思います。


前提として、物語という点で見ればあのような設定があるからこそ主人公の魅力が引き立つわけで、作品自体は子どもの頃からずっと記憶に残る、素敵なものだと思います。

このドラマは2007年に放送され、原作の漫画は2000年に完結したようです。その頃は毒親などという言葉もなく、特に違和感なく受け入れられていたのかもしれません。

私自身、放送時は小学生だったため、先日までの印象は「嵐のふたりが出ている、ハピネスが主題歌のドラマ」という感じでした。

ただ25歳の今、まして家族や自分と向き合っているタイミングなので、家族の構造にどうしても目がいくのだと思います。


親が子に及ぼす影響を考えるきっかけになったのは、主人公山田太郎の両親が親としての役割を担っておらず、長男を筆頭に子どもたちが我慢や気遣いをしている構造になっていたからです。

山田家は子どもが7人。その一番上が山田太郎(高3)で、学校に通いながらアルバイトで生活費を稼ぎ、家のこともほぼすべて担っています。

父は世界中を旅しながら絵を描き、それを売っています。いつ帰ってくるかわからない。

母は身体が弱く、家事が苦手。お嬢様育ちが抜けず、精神性は子どものまま、というようなキャラです。


そんな家庭環境の中、子どもたちは

・家にお金がないこと
・あんちゃん(長男)がすごく頑張ってくれていること

を敏感に感じ取り、家の空気が暗くならないよう常に明るく振る舞い、気を遣ってわがままも言えない

もちろん一概には言えませんが、親が奔放なために子どもがしっかりせざるを得ない構造は、現実世界にもあるよなぁと思います。


子役の方々の表情がとてもリアルで、見ていて苦しくなりました。


ではなぜその構造が生まれるのか?を考えてみると、私は

”親と子で選べる選択肢の数が違うから“


だと思いました。


親は子を産み育てる選択もできれば、役割を手放す選択もしようと思えばできる。常識や倫理は一旦別にして、可能性の話として。

でも子どもは選べる選択肢がほぼないし、仮にあってもまず知ることが難しい。

だから、与えられた環境の中で生き延びることしかできないのではないか。

生存戦略として、母を慰め兄を労わり、自分の気持ちを押さえ込む。そんな状況なのかなと想像しました。


親と子では、そもそも土俵が違いすぎる。

20年近く前のドラマから、いろいろ考えさせられました。


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