父は、他者を理解する気がないらしい
お盆ということで、家族4人で祖母といとこ家族が住む家に行きました。
予想通りストレスフルで、収穫が多い一日でした。
車の中は兄の世界
行きも帰りも、車内には当たり前のように兄セレクトの曲が流れます。
兄は自分の思い通りになるのが当たり前だと思っているだろうし、親も兄のしたいようにさせるのが当たり前になっています。
そして私も対抗するだけ無駄だと思い、最初から諦めています。
兄が流す曲に不満があるわけではないんです。
兄が基準になっているのが嫌。
なんで私が兄に合わせなきゃいけないの?
なんで兄の都合で家族全体が回っているの?
ずっとこれが自然だったから今まで気づかなかったけれど、我が家の構造を目の当たりにしてうんざりしました。
でも、車内でのストレス軽減策として用意した耳栓はとても有効でした。
音楽のボリュームを下げられるし、会話も遮断できる。
父から話しかけられたとき、聞こえてはいるけれど面倒で返事をせずにいたら、兄が「ゆめ今耳栓してる」と答えてくれました。
スルーできるって便利!
笑えない父のジョーク
ダジャレやジョークが大好きな父。
昔はみんなを楽しませようとしてくれていると思っていたけれど、冷静に観察してみると全然ちがくて。
自分が気持ちいいだけ。独りよがりで、ただただめんどくさい。
父がよく言うジョークに、“心配するふり” があります。
今日もいとこが机に足をぶつけたとき、「大丈夫?…机」と、ぶつけた人を心配していると見せかけて本当は物の心配をしているという父定番のジョークを言っていました。
昔は面白いと思い込んでいた(笑わないといけないと思っていた)し、つい最近でも「はいはい」と言ってあしらう程度でしたが、今ではもうこれを言う意味がわからない。
もう二度と聞きたくなくて、気づいたら
「それ本当にうざいから言わない方がいいよ」
と結構本気で言っていました(それでも傍から見たらあまり本気には見えていないのでしょうが…)。
言い方はあまり良くなかったというか、もっと別の言い方の方が真剣に受け取ってもらえたのかもしれません。
でも私としては、こうしてすぐ不快感を口に出せたことは、とても大きな出来事です。
今までは不快感を表現することすらできなかったけれど、結局嫌なことは口に出さないと伝わらない。
少しずつでも、「それは嫌だ」と表現できるようになってきました。
自分に見えている世界でしか、ものを語れない
いとこ家族と繰り広げられる世間話は全体的に苦手なのですが、今日は適度に混ざることができました。
座る場所が普段とちがって、いつもは家族と横並びなところ、今日は向かいから眺める位置になったことが関係していそうです。
父の発言にはずーっと違和感があったのですが、対角に座る父を俯瞰して見れたことで、その正体が少しわかりました。
父には、自分に見えている世界がすべてみたいなんです。
どういうことかというと、他者の視点を想像するという行為をまったくしていない感じ。
例えばエアコン。父は「温度差がある方がつらい」などという理由で、エアコンをつけたがりません。
私は、「自分はさすがにエアコンをつけないとしんどいけれど、お父さんがそう感じるのもわからなくはないな」などという感じで、父の視点を想像するようにしています。
でも父は、それがまったくないのだと思います。
エアコンをつける派に対して自分の意見を述べるのはいいのですが、不自然なくらいに「自分はこうだから」と主張しかしなくて。
自分以外の考えや感覚を理解しようとする姿勢が一切感じられない。
これまで母が暑さで頭痛に苦しんだり、インコが体調を崩しても、表面的に「クーラーつけていいよ」としか言わなかった理由がわかったような気がします。
嫌なところがありすぎて胃がキリキリしていますが、家族に対する理解がまた少し深まりました。
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