「買ってきたよ!喜んで!」相手の求める反応しかできなくなった理由
父は、同じ行動を繰り返すことがあります。
最近は、“仕事帰りに地元のパン屋さんのサンドイッチを買ってくる” というものです。
夕方はタイムセールで割引になるので、お得に目がない父としては買わずにはいられないのだと思います。
私はそのパン屋さんもサンドイッチもすごく好きなので、初めて父が買ってきたときにすごく喜びました。
私のリアクションが良いと、父はやたらそれを繰り返します。
喜ばせたいという、父の不器用な愛なのでしょうか、、、
こういうところも、はたから見たら「可愛らしい」「優しい」と思えるかもしれません。
でも私からすると、「買ってきたよ!喜んで!」といった感じで喜ぶことを強いられているような感覚になります。
なぜそう思うかというと、買ってきたときの父の表情やオーラが、ボールを取って戻ってきたときの犬みたいだから。
父の行動は「私のことを想像している風」であって、実際に「想像している」わけではないような気がします。
父の中の方程式は、
これを買っていく = 娘が喜ぶ
というとてもシンプルなものだと思います。
でも、もっと想像する人であれば
・前は喜んだけど、今回も同じように喜ぶとは限らない
・今日はサンドイッチの気分じゃないかも
・買っていくことが負担になっていないだろうか
などといったことまで考えるような気がします。
父にはそのような想像力がないからか、「喜ぶに違いない」という確信めいた態度をなんとなく感じます。
これまで私は、人に対して「こういうリアクションをされたら嬉しいだろうな」ということを瞬時に判断して振る舞っていました。
自分がどう感じているかは完全に無視で、ただただ相手の求める態度を差し出す感覚でした。
そうなった原因のひとつに、父の「喜んで!」という態度があったのかもしれません。
「父は私を喜ばせるために買ってきてくれたんだから、喜ばなきゃ」
「本当はそんなに嬉しくないけど、それを伝えたらきっと父が傷ついてしまう」
そんなことを子どもながらに考えていたからか、自分の本当の気持ちを伝えること、もっといえば自覚することすらできなくなっていました。
それが、最近になって少しずつ「父の機嫌をとるのは私の役割ではない」と思えるようになったことで、「そんなに嬉しくないときは喜ばない」という選択ができるようになりました。
「親なんだから、自分の機嫌くらい自分でとってくれよ」
こう思えるようになって、随分と楽になりました。
相手がどんなリアクションを求めてこようと、自分がそう思わないのであればする必要はない。
それに、都合のいい反応を求める人とよりも、私の自然な反応を見たいと思ってくれる人と関わっていたい。
そう思うようになりました。
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