自分のテリトリーに入られるのが不快
私の感覚のひとつに、「自分のテリトリーに入ってきてほしくない」というものがあります。
誰しもパーソナルスペースがあり、近すぎると不快感を感じるのではないかと思います。
ただ私にとって、兄と父に対するそれはなかなか過敏というか、拒絶に近いものがあるような気がしていました。
小学生か中学生頃の記憶でよく覚えているのが、車の座席のことです。
家族で祖母の家に遊びに行く際、いつも運転席に父、助手席に母、後部座席に兄と私が座っていました。
つまり兄と私が隣なのですが、私は〈兄のスペース〉と〈自分のスペース〉をきっちり半分にしたいと思っていました。
間にもうひとり座れるスペースがあって、そこは半分ずつがお互いの空間だ、という感じ。
それなのに兄は気にせず上着や荷物をドカッと置いていて、それがすごく不快でした。
「私のスペースに入らないでくれ」
でも真ん中に線を引いているのは私の脳内のイメージだけで、それを兄に説明して理解してもらえるとは思えなかったのか、なにも言えずこそっと兄の方に押し返すことしかできませんでした。
最近またそれを感じる機会がありました。
私が部屋でインコと過ごしていると、兄が扉をノックしてきました。インコを連れていくためです。
私は立ち上がるのが面倒だったため、兄に受け取りに来てもらったのですが、部屋に入られるのがすごく不快だったんです。
父も同様です。
でも母が入ってくるのはなんとも思わない。
この感覚の違いはどこから来ているんだろう?と考えています。
この話を友人としているときに、話の流れで「侵略者」というワードが出てきて、思わず「まさにそれ…」と言っていました。
今でこそ穏やかな兄ですが、子どもの頃はなかなか乱暴というか、感情の波が大きくてよく巻き込まれていました。
記憶に蓋をしていたのかあまり覚えていないのですが、だんだんと「怖かった」という気持ちが出てきています。
自分の部屋がなかったから、そもそも「ここは私だけのスペース」という概念がなかった。
そのうえ、何事も兄が基準、兄がルールだったから、自分の意思が尊重されたり、「これはいやだ」と主張する機会もなかったのかもしれません。
自分の身の安全が脅かされる感覚が、実は今も残っているのかもしれない。
怖かった感覚が、今も自分を緊張させているのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
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