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じっくり話す機会って、もしかして全然ない…?
意識せずに生活していると、人とじっくり話すタイミングって案外ないんだなぁと感じています。
適応障害になってからしばらくは自分の現状などを話せる人としか会えなかったため、意識せずともじっくり話すことができていました。
ですが、少しずつ社会復帰していく中で、そうではない関わりが増えたような気がします。
例えば、アルバイト先でのコミュニケーション。
一緒に働いているのは穏やかで優しい方ばかりなので、嫌な気持ちになることは一切ありません。
ふわっとした世間話もあれば、商品に関する知識を教えてもらうことも。
業務をこなすにはそれで充分だと思うのですが、それらはあくまで第三者的ななにかを対象にした話。相手や私についての話ではありません。
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だから、一緒に過ごした時間は増えても、相手のことは何一つ知らないままのような感覚があります。
別のコミュニティの方々に対しても近い感覚があります。
何度も顔を合わせているから、知らない人ではない。
知っている人ではあるのだけれど、いざその人の何を知っている?と考えると、「気さくに話しかけてくれる優しい人」とか、「行動力があっていろんなところに行っている人」といった、会った時の印象やInstagramで見る活動のことしか出てこない。
なんだ、まだまだ全然知らないや。そう思いました。
人によっては、「会っている時に楽しいのならそれでいいじゃん」と思うかもしれません。
ですが私は、
その人がどんな人生を送ってきたのか。
どんなことを感じてきて、今どんなことを考えているのか。
そういったことを知ることで、ようやく「仲良くなれた」と感じるようです。
関係性や状況によって、話せる内容が変わるのは当然です。
私だって、初対面でいきなり踏み込んだことを聞かれたら不快に思うかもしれない。
でも、“第三者的ななにか”しか話せない関係性ばかりになってしまうと、私は苦しいのだと思います。
同じコミュニティの中で、誰か1人だけでもじっくり話せる存在がいたら全然違うだろうし、まったく違う環境でじっくり話せる存在と出会えたら、それはそれでいいのかもしれません。
大事なのは、自分がどんな関係性を求めているのか?を知っていることだと思います。
人とじっくり話すタイミングって、案外ないのかもしれない。
でも、私みたいに誰かとじっくり話すことを必要としている人がいるかもしれない。
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