“一生懸命頑張るのダサい”って誰が言いだした?
この記事を書いたことで、昔感じていた気持ちを思い出しました。
「頑張ることのなにがかっこ悪いんだよ」という腹立たしさです。
頑張る人を応援したい
私の中に、「頑張る人を応援したい」という気持ちがあります。
小学生のときにはすでに思っていた気がします。
生徒会の人とか、レクを考えて仕切ってくれる人が少しでもやりやすいような空気感をつくりたかったし、目標に向かって頑張る人がいたら、応援するのが自然なことだと思っていました。
でも次第に(中学生とかかな)、「一生懸命頑張るのってダサくない?」みたいな空気感が広まったように思います。
あと、先生に対して反発するのがかっこいい、みたいな…
それ自体は思春期において必要な過程なのかもしれませんが、その空気によって私は、本当は応援したいし力になりたいけれど、堂々と応援するのが難しいという状況になりました。
簡単に言えば、気持ちを押し殺したということです。
心では応援しているし、人に見られていないところでは声をかけたりしていたけれど、周りの目を気にして、目立つことは避けていました。
でもそれが、すごく悔しかったことを思い出しました。
理想を諦めたくない
もうひとつ思い出したのが、「こうだったらいいな」と私が思い描く理想を否定されてきたことです。
どんな理想を思い描いていたのか、ほとんど思い出せなくなっていますが、戦争がない世の中がいいというのもそのうちのひとつです。
なにも「戦争がない世の中なんていやだ」というふうに否定されたわけではなく、「確かにそうなったらいいけど、無理でしょ」というニュアンスの否定です。諦め、とも言えます。
この類の、悪気はないけれど否定的な言葉の数々によって、理想を思い描くことすらできなくなっていました。
でも、なんかそれも悔しいなって。
周りになんて言われようと、自分が思う理想に向けて行動すればいいじゃんって、思うようになりました。
というか、ひとつめの「頑張る人を応援したい」は、私が応援してほしかったからなんだろうな、と。
思い描く理想をわかってもらえない悲しさ、内側から湧き出てくるエネルギーの行き場がない悔しさ…
それらを味わってきたから、似たような状況の人を放っておけないんだと思います。
〈頑張りたい人が、伸び伸び頑張れる環境をつくりたい〉
これも、私の理想のひとつです。
だんだんと、かつて思っていたことが蘇ってきました。
引き続き思い出してみようと思います。
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