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母も、話を聞いてもらえなかったのかも

私は、聞いてほしい話を母にしているとき、どこか聞いてもらえていないと感じていました。

すぐに「お母さんもね…」と話し始めることもあれば、話題を奪いこそしないものの、質問をされて話が広がる、というようなことがあまりない。

私の話に興味がないんだと感じ、実はずっと傷ついていたように思います。


私が聞いてもらえていないと感じる特徴のひとつに、相槌が早くて多いというのがあります。

リアクションが何もないよりはいいのかもしれませんが、私と同じかそれ以上の声量で「うん、うん、うん」と言葉に被せるように打たれる相槌は、話を遮られているような感覚になるんです。

聞くことを拒まれているような、「これ以上話さないで」と言われているような…


そんな特徴が祖母、つまり母の母にもあることに、お正月に母方の祖母の家に行って気づきました。

母の話を、祖母が早くて多い相槌と共に聞いていたんです。

「あ、同じだ」と思いました。


母にとっては当たり前になっていて、気にもしていなかったと思います。

ですが、あの聞き方では、私は聞いてもらえていると感じられない。壁に向かって話しているようなものだと思いました。


母もずっとこの相槌をされてきたのだとしたら、母の話は誰が聞いていたのだろう?母が「聞いてもらえている」と感じられたことはあるのだろうか?

そう考えたら、母の相槌は仕方がないように思えてきました。


では祖母が悪いのか?というと、そういうわけでもない。

きっと祖母も、母親にじっくり話を聞いてもらえなかったのだと思います。

特に祖母の幼少期は終戦前後で、兄弟も多かったため、一対一で密なコミュニケーションをとるのは難しかったのかもしれません。


そして、さらに遡っていくと、みんな満たされないものを抱えたまま親になったのかもしれない。

そんな歴史を想像しました。


母の背景が少し鮮明になったのは収穫ですが、だからといって私が我慢するのは違う気がして。

できるならお互いに話を聞ける関係になりたいし、それが難しくても、私は人の話を聞けるようになりたい。

そんなことを思いました。



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