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「勝手に決めんな」父へのイライラの原因、根深いな

今日も今日とて父にイライラしています。

長年にわたり不満や違和感を押し込めてきたのだから、今くらいは「いやだ」「うざい」という感情をとことん感じ尽くしたいと思って過ごしています。


今日判明した、父のコミュニケーションにおけるイライラポイントは2つ。

①情報が少ない
②選択権を奪う


我が家では、お風呂に入るタイミングや順番を、なんとなく調整しています。

父は最初か最後のどちらか。兄は大体「今日は何時ごろに入りたい」という希望がある(こちらから聞かないと言わないけど!)ので、ふたりの希望を基準に母と私がタイミングを決めるのが当たり前になっています。

(こういう部分も、私が「自分がどうしたいか」じゃなく「どう振る舞うのが最適解か」を基準に動くようになった背景なんだろうな)


いつもは母が間に立って調整してくれるので、コミュニケーションにおけるストレスはありません。

ただ今日は母が疲れており、父が私に「いつ入るか」を聞いてきました。


①情報が少ない

父はこう聞いてきました。
「お母さんのあとか○○(兄の名前)のあと、どっちで入る?」

、、、?

えーっと、お母さんとお兄ちゃんはいつ入るの?それを知ってるなら教えて?知らないんだとしたら、私は判断できないんだけど?

そう思いながら、私は
「ふたりはいつ入るか決まってるの?」
と聞きました。

「お母さんは今からで、○○(兄)はわからない」とのこと。


うーーん、なんかイライラする…

過去に溜まったイライラを別にして、このやりとりの何が私をイライラさせるのかを考えてみると、情報量の少なさに原因があるようです。

言い方を変えると、こちらに考えさせるコミュニケーション


一往復で終わらず、足りないピースを少しずつ集めてようやく結論が出るようなコミュニケーションだなぁと。

場面によっては、一緒にピースを集めるコミュニケーションが楽しいときもあると思います。

ただ今回の件はそうじゃない。父の配慮の行き届かなさというか、私との感覚のちがいから生まれるイライラだよなと考えました。


私が相手を煩わせないコミュニケーションを意識しているから気になるのか、父の煩わしいコミュニケーションがいやだから私はしないように気を付けているのか…

今後考えたいところです。


②選択権を奪う

先ほどのやりとりのあと、父は兄にいつ入るか確認し、再び私のもとへやってきました。

私としては、母が出てきたあとで兄に聞けばいいやと思っていたのですが、父は事前に決めたいみたいで(それも正直めんどくさい)。

今度はこう言いました。
「○○(兄)は11時半頃だって。だからゆめは…

兄がその時間なら、私は母のあとに入るという結論になるのはわかります。私もそうしようと思いました。

でもこのとき父は、私の意見を聞かずに結論を出そうとしました


父としては「だからゆめはお母さんのあとでいい?」と確認しようとしたのかもしれません。

こちらが考える手間を省こうとした?(だとしたらなんで①のくだりではそうしない?)

父にどんな意図があれ、私としては「勝手に決めんなよ」と感じました。

自分で考えて決める自由を奪ってんじゃねーよ」と。


これは今に始まったことじゃなく、おそらくずっとそうだったのだと思います。

今までは父のコミュニケーションを疑わず、違和感を感じたとしても気づかないように抑え込んできました。

でも今は、違和感を正面から見つめることができる

私のことは私に決めさせろよ」と、心の奥の方から叫んでいるような感覚です。


あー、言語化してみてかなりスッキリしました。

父の立場で考えるとまたちがう景色が見えるのだと思いますが、すぐに他者の立場で考えて自分の気持ちを蔑ろにするのが私の悪い癖。

まずはとことん自分の気持ちや、なぜそう感じたのかということに向き合いたいなと今は思っています。


すごく個人的な話でしたが、読んでくださった方にとって、対人関係の違和感がちょっとだけクリアになるきっかけになったら嬉しいです。

共感できるポイントなどあれば、ぜひコメントで教えてください!

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『深い雑談』というものをやっています!

私がnoteで書いているような話は、そもそも人に話しにくかったり、話したところでわかってもらえなかったり…

家族すら、もしかしたら家族だからこそ、私が感じている苦しさやもどかしさを話しても伝わっている気がしない。

それがすごく切なくて。

ずっと、私の感覚をわかってくれる相手を探していました。

わかってほしい、理解してほしい。同意はしなくていいから、「ゆめはそう思うんだね」って、ただ私の考えを尊重してほしい。私の感覚が伝わる相手がほしい。

学生という枠がなくなって、世界がちょっとだけ広くなったことで、感覚が伝わる人と出会えるようになりました。

もちろん、完全に同じ人なんていない。でも、自分にない感覚の話を、「そういう感覚もあるんだ」とわかろうとしてくれる人がいる。そのことに、私はすごく救われました。

自分の感覚は間違いじゃないんだ、自分は自分の感覚を信じていいんだって、思えるようになりました。

私も、誰かにとってそんな存在になれたら。

私が日々考えていることを言葉にすることで、似たように日々考えている人が「この人となら話せるかも」と感じるかもしれない。そして実際に話してみて、自分の感覚を誇らしく思えたら。

なんかもう、すごく嬉しいなって思うんです。

なかなか自分の感覚が伝わらない、でも誰かにわかってほしい。そんな気持ちを抱えていたら、ぜひ一度お話ししませんか?


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