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怪談 船岡山【※閲覧注意動画有※】

思えば昨年の大晦日は人混みを避け心霊スポットで撮影していて訪れたのが船岡山だった。

今年は行きたいなあと思った場所が通行止めで、2箇所まわるつもりが高速の工事もあったりして、結論夜の撮影も難しく、天気もあまり宜しいとはいえない状態であったために家で大人しく過ごしている。

過去訪れ撮影した映像を今回改めて紹介する。

私が過去にWARASHI達の検証のために撮影した映像に謎の呻き声が入ってしまった。

これは、勿論私の声ではない。

付近に犬の散歩をされている方はいたが、そもそも犬は人間の呻き声に近い声を発するのだろうか?だとしても、カメラを撮影している私の近くに犬がいることになるが、犬は飼い主の近くにいてかつ遠い距離であるため、当然ながら犬の声を一般的なスマホのカメラが拾うには限度がある。

謎の音声が撮れてしまった船岡山に纏わる心霊の怪異譚について紹介しよう。

平安時代は"蓮台野"(れんだいの)と呼ばれる風葬地の一つで千本通に面して位置していたという。では風葬地とは何?となると、昔は今と違い亡くなられた方のご遺体を火葬等で処理する技術がなく、また伝染病等が流行りたちまち亡くなられた方が膨大になってしまうと、言い方が悪いかもしれないが、この遺体どうする?が問題になってしまう。

そこで閃いたのが、風葬だった。

これは、亡くなられた方のご遺体を野ざらしにすることで自然風化することにより葬るというもので、実は千本通って通の名前の由来も調べてみたら怖いもんで、卒塔婆が千本並んでいたから千本通。つまり卒塔婆が千本並ぶ通に面した場所に遺体を野ざらしにした位置こそが、蓮台野になる。

そんな蓮台野の今は複数の地蔵尊や仏様の設置により丁重に祀られている。

蓮台野があった他は応仁の乱の合戦時には、船岡山が戦場と化した時期もあった。

はじめて船岡山公園を訪れた際に偶然にも見かけたのが、頭に矢が刺さった状態の顔の表情は戦意喪失に近い状態の落ち武者が地蔵尊が並ぶ場所にてゆっくりと腰を掛けているもんで、私が不思議そうに見ているのに対し気づいたことに驚いたのか、落ち武者のほうが逃げられたというのがあった(おい)

恐らく戦の際に、急所を狙った攻撃に反撃できずに亡くなられた方の御霊があの地にいたのだと思われる。

船岡山公園には、報道された事案がないためにあくまでも噂に過ぎないのだが、首吊り自殺があったという話もある。

それが、実際に肝試し目的で訪れた方の映像等で収録されたり或いは聞こえてきた、呻き声や足音だろうパタパタパタパタ…という音が聞こえてきたという説明し難い怪異現象があるために伝わったものだろうと推測される。

足音に近いパタパタパタパタ音の撮影には実は成功しているので紹介したい。

撮影時はボール遊びをしている10代の少年達が公園内の広場で遊んでいたが、少年達が遊んでいた場所と私が撮影していた場所には距離があり、ボールがバウンドする音が集音マイクでも使って拾わないとそもそも映像に収録されることはあり得ない。

先程の呻き声並びに足音のパタパタ音から首吊り自殺を連想させてしまっているのだろうと推理した。

これは、私の経験上の話になる。

何度も自殺があった心霊スポットには足を運び真面目に心霊検証を行っているのだが、必ずといってもいい、自殺が過去にあった場所には残像が残る。

これは自殺したい人の思念で、実際に糀谷ダムで地元の方々からも教えて頂いた話ともリンクするが、自殺をしたいと思う人は共通して思い止まる傾向がある。自らの命を絶つまでに、心の整理をして思い残すことはないと区切りがついたときに旅立つ決意をする。自殺を防止するには、思い止まっているときに一言声をかけてあげるのが良い。

自殺をされた方の思念が何故遺るのかとなると、死んだことに対しての後悔よりも、あの時に声を掛けられていたら違っていたという死ぬまでに誰かに心配してほしかったという生前の強烈な残留思念から肉体がなくとも飛び降りをする御霊や、注意深く監視してくる御霊がいたりする。

では、船岡山はどうなのかとなると、私は2回船岡山に訪れているが、何れも自殺されただろう御霊とは遭遇していない。過去に首を吊り亡くなられた方の場合、場所は違うが首が曲がった状態で現れるパターンだろう。これは、窒息の苦しみのために顔を傾けた事により首が曲がった状態で現れる。

御霊は人を選ぶというが、仮に自殺があったとしたら現れない理由など存在しない。

つまり、首吊り自殺があったのは心霊の怪異譚は思い込みに過ぎない可能性が極めて高いことになる。

では、ここで本題へ。

前述した亡くなられた方の残留思念が遺るという事についてだが、ではどういった場合が強い残留思念が遺りやすいのかを不謹慎だがランク付けすると以下の通りになる。

①殺された方
②事故に遭い亡くなられた方
③自殺された方
③戦で亡くなられた方
⑤病気で亡くなられた方

あげていないが、船岡山では過去に痛ましい事件があった。事件を風化させぬためにも紹介する。

1回目、2回目と見てしまったのが不審な警察官だ。

警察官と話せば警備員の可能性も考えられるが、あの服装は腕に警備員らしき腕章もないために、紛れもなく警察官だった。

ただ、明らかに動きがおかしい。

初めてみたときは公園脇のマンションのベランダに張り込み中の警察官と目があったと思っていた。がその警察官は一瞬にしてマンションの前の道路までおりてきて私を見て見上げている。錯覚かと思い先に進もうとしたら背後にその警察官がいる。これで怖いと思えば心霊検証なんて出来ないので気にしない精神で他の場所の散策を続けていると、再び警察官がやってきた。"おいで、おいで"と手招きをしてどこかへ案内しようとしてくる。それが顕彰碑の前に辿り着くと、警察官が待っていたのだが、着ていた服装が警官服から白い正装に変わっていた。

これ、仮にご存命の警察官の方だとしても、瞬時に移動や着替えなんて出来るわけがないので、あの時の警察官は何者だ?ということになるが、実はGoogleMAPの書き込みにも、霊感の強い方は"警察官の霊がいる"という内容がある。

ではどうして警察官の霊が出てくるのか?

1984年9月4日、午後12時50分頃に事件は発生した。

広田事件の最初の事件が京都事件で、これは容疑者の広田がかつて勤務していた十二坊派出所に嘘の通報をする。当時派出所で一人勤務していたA巡査が騙されて公園内に一人でやってくると、公園の山頂に向かうまでの斜面で広田にナイフで右大腿内側や右肩内側を複数箇所刺された上でうつ伏せになって倒れていたところを護身用に所持していた拳銃を奪われた末に左背部を撃たれた。

撃たれても意識はA巡査はあった。

無線を使い指令室に対しSOSを発信しようとした際にA巡査は呻き声をあげながら"助けて"と発信した。異常に気付き駆けつけた西陣署の警察官に発見され、病院に緊急搬送されるも息を引き取った。

話を怪異譚に戻そう。

首吊りの自殺があったという噂の真偽を確かめるべく2度目の船岡山に訪れた際は夜の19時を回ろうとしていた大晦日の夜だった。

またA巡査がいた。

明らかにおかしいのはもし巡視中の警察官ならば懐中電灯が必要な時間帯なのに懐中電灯ももたずに闊歩している。急ぎ足で襲われた場所まで道案内をしようとする。道から外れたらまたこっちだよとばかりに"おいで、おいで"と手招きする。そして顕彰碑の前に辿り着くとA巡査は安堵するのか、スッと消える。船岡山で無念の死を遂げた落ち武者の御霊も現れておかしくないはずなのに一切現れなかった。

文章を一通り読んで頂いて映像の怪音の答えがあることに気づいて頂けただろうか。

何で前もって殺された方の残留思念が遺りやすいと話したか。今の今まで話せなかったことを改めて説明すると、私が映像に収録した呻き声、そして足のパタパタ音は、自殺された方ではなく、殺されたA巡査が音源だったから。撮影時に実は気づいていた、足元でうつ伏せの状態で呻き声をあげる警察官がいたことも、うつ伏せの状態で必死になって警察官が助けを求めようと革靴でずーっと地面を蹴り上げるパタパタパタパタとね。

今も、助けてと訴えているのだろうと思われるが、実は答えは違う。今回の広田事件の場合、かつての職場にA巡査がいたってだけで、広田とA巡査は顔見知りではない。つまり、広田が抱く組織に対する怨恨の対象が全く関係ない人に向けられたわけで、A巡査からしたら恨まれた覚えもない人にいきなり襲われ亡くなるなんてことを理解できないからだ。

だからこそ、現れる。

力の強い地縛霊としてね。

納得のいかぬ憤りを、今もなお癒えぬ傷を抱きながら現れるA巡査の哀しみは払拭出来ない。

最後になるが文章中ではA巡査と記していたが、実名は公表されていて亡くなられた巡査は鹿野人詩巡査(享年30歳、殉職後に警部補に2階級特進)で、故鹿野巡査が襲われた場所には慰霊碑じゃなく、死後警部補に昇格を記念した顕彰碑(けんしょうひ)がある。

言うべきか躊躇したのは、最初に顕彰碑に御参りした際に燃えきってない線香があって、仮に故鹿野巡査のご遺族様だとしたら、線香に火がついた状態でお供えするはずだが、見た限りそんな余裕なく線香に火はつけた、ただちゃんと火がついていないことを確認しないまま立ち去ったということになるから、恐らく警察の方が定期的に顕彰碑に御参りにきているのだと思われる。

亡くなられた故鹿野巡査のご冥福を心より御祈りしたい。

【怪談 船岡山 おわり】

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