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【ゲーム感想_03】MOTHER

FCの作品ですが、初プレイはGBAでリリースされたMOTHER1+2でした。
(MOTHER2はSFC版でプレイ済)
序盤から妙に難しく、マジカントで防具を買えることも知らないまま終盤まで進んでヒーコラいいながらクリアした記憶があります。

お話の細かい部分とかちゃんと覚えてなくて今回改めて遊んでみたのですが、初プレイ時も今も、世間で高評価を受けていたラストでは感動できませんでした。マリアがギーグのことを思い出して、完成したメロディでラストバトルを戦うあの展開です。

世界を救うのはお母さんの子守唄。親を喪った子供達、人間達のお話。
親が行方不明になったイースターの子供達とか、自分の全てを肯定してくれる両親とか、作り手の真意を読み取った人が教えてくれた読み方を聞けば、なるほどそういう意図があったんだなと。
ただそれは理解できただけで、感情で受け入れられたわけではなく。

むしろ終盤で印象に残ったのは、ホーリーローリーマウンテンのどう戦っても面倒にしかならないザコ敵達とか、延々と長い道を歩かされる道中とか、しんどい要素ばかり。窮屈な戦闘の辛さも相まって、お話を読む余裕は失われていました。

じゃあ初代MOTHERは好きじゃないの?、そういうわけでもないのですよね。部分的には他のゲームにない味があり、心に残ったむしろ好きな作品です。

■他では体験できない、MOTHERの好きなとこ

同じ多くのプレイヤーが絶賛した部分でも、パパの電話なんかは大好き。
普段は仕事で家にいないけど、ずっと主人公のことを気にかけてくれるお父さん、めっちゃ良いですよね。お金だけ振り込むんじゃなくて、電話した時のセリフがちゃんと温かいんですよ。
2時間経つと向こうから電話かけてくるのも好き。ちゃんと心配されているのが嬉しくなります。

有名な「ガチャン ツーツーツー」以外も
親しみと守られている感のある言葉選びが好き

マジカントの人々のセリフも独特で味がありますよね。
お気に入りは好きな食べ物を作ってくれて泊めてくれるお姉さん。
泊まった後のセリフがとても温かくて大好きです。

初対面でも親しみを込めて接してくれるお姉さん
マジカントらしさ溢れるキャラでした

バランスがきつめの戦闘もSMASHが出ると気持ち良くて好き。たとえオーバーキルでも大好きです。
逆に敵にやられるとエフェクトの派手さもあって「ぐわあああああ!」って気持ちにさせられますね。実際食らった後はヤバいことになりますし、クリティカル!って感じに気持ちを揺さぶられます。

SMAAAASH!!
Aは4つ!

仲間として好きなのは2人目のロイド。
最序盤は自分の弱さに大苦戦して、でも動物園を超えるあたりから安定して戦えるようになるじゃないですか。マジカントでも苦戦しなくなって、あー強くなったなーと実感したところで加入するのがロイド。レベル1で、主人公より弱くて特技もなくて、戦力としてはかなり頼りない子です。

ここって
「弱い子だけど、安定して戦えるようになるまでフォローしないと」
って気持ちと
「やっと強くなったのに、足手まといが加わってまたしんどくなった...」
って気持ち、両方が入り混じると思うんですよね。

私はどちらかといえば前者の気持ちが強くて、1周目はボッコボコに殺しちゃって申し訳ない気持ちが強かったなぁと。

で、これはどこかで聞いた話なのですが、MOTHERのファンブックみたいな書籍のインタビューで糸井さんが
「ロイドはわざと弱くしてる。弱い彼とどう旅するかを意識させている」
みたいなコメントがあるらしいのですよ。そこまで考えてたのかスッゲー!ってなりましたね。よくこんなプレイヤー心理を突いてくるよなぁ、と。

でもロイドも弱いなりに、育てて攻撃力を考えて運用するとちゃんと力になってくれるんですよ。回復も傷薬とか持たせれば担当できますし。
バトルはいつまで経っても「ややしんどい」が延々続くようなバランスですけど、ロイドも含めた3人でどう乗り切るか、みたいな作りはとても心に残っています。

工場でロイドが死んで「戻らなきゃ…」な
気持ちになった人も多いはず。心理読まれてますw

旅といえば広大なフィールドも好きです。町とフィールドの境目がない上にマップがとにかく広いから、まぁ大変なんですよね。
ですが個人的には、あの広大なフィールドを西から東へずーーっと歩かされる感覚がとても好き。特にイースターからバレンタインへ向かう時の湿地帯は好きですね。ホント長くてピッピの別荘が超ありがたくて。

西の子が東に別荘持ってる設定もアメリカン

10歳そこらの子供たち3人がアメリカ大陸モチーフの世界を延々旅するわけじゃないですか。そりゃ歩くのは大変だし動物やら不審人物に絡まれたら普通は即終わりですよ。PSIなんて力を持っていてもそりゃ大変ですって。
映画『スタンド・バイ・ミー』でも大変そうでしたし。めっちゃアレのイメージですよね。

その感覚を、JRPGのシステムをモチーフにしてプレイヤーに体験させているのは地味に凄いと思うのです。面白いのとはちょっと違うのですけど、登場人物や舞台の設定を酸いも甘いも体験できるというか。アメリカでは絶対にできない(日本でもまぁ無理ですけど)子供だけの旅を楽しませてくれる作品だよなぁと。

というかこのゲーム、アメリカ映画をよく観察していますよね。1980年代ってアメリカ旅行者少し増えだしたかな、って時代でまだまだ未知の国だったんです。
それこそアメリカを旅行するクイズ番組がドキュメンタリーとして成立してしまうぐらいには未知の国でした。

そんなご時世だから、制作陣の考えるアメリカ像もおそらくアメリカ映画だと思うのですよね。だから事実とは違う、ちょっと誇張されたアメリカがモチーフとなっています。(ダイレクトな映画パロディもありますが)

もちろんコメディとして誇張されてもいるのですが、アメリカ映画って当然ながらアメリカ人が楽しめるように作っているわけで、そこが米国で大人気になった理由なのかな、なんて考えたり。

クラブで飛び入りして歌とダンスを披露
アメリカ(映画)なイメージです

看板が全部横文字だったり、砂漠も雪もあって、いきなりクラブで歌って踊って、ガールフレンドと2人きりになっても踊って、どこまで行ってもアメリカナイズされた世界。

でも近くにいないパパの気遣いだったり、ママが自分を無条件に愛してくれたり、そういった根源的な愛情はアメリカも日本も同じ。
近くて遠い国を舞台にした、しかし日本人でも理解できる感情をそれとなく教えてくれる作品でした。

そんな様々な気概を呼び起こしてくれるのがBGM。
「ポリアンナ」「BEIN'FRIENDS」「スノーマン」を筆頭に、旅を思い出せる曲ばかりですよね。作中では世界に入り込む手助けをしてくれて、作外ではプレイ時の記憶を紐づける役割をしてくれる、素敵な楽曲達でした。今でも聴いてます。

■自分の体験を大事にしたい

といった感じで嫌いではない、むしろ好きな部類に入るゲームです。
何度でも言いますが、操作性は悪いですしゲームバランスもプレイヤー側に好転することもありません。お世辞にも出来の良い作品ではないです。

でも、確かに道のりはとても大変で、しんどいのですけど、突破口を色々考えて、八方尽くしてがんばって、達成できたら満足感がありました。バレンタインの町についた時の安堵感は良い思い出の1つです。

舗装された道路を見つけた時の安堵感
そして嬉しさはひとしおでした

悪いゲームバランスが、子供が体験できないものを体験させてくれるために用意されている、と考えれば決して悪いものではないのかな、なんて考えてしまうのです。

それに、随所で楽しいことも沢山ありました。会話も、バトルも、旅の実感も、雰囲気も。全てしんどい中で体験することができました。
であれば、楽しいと感じた部分が沢山あったのなら、他の人が良いと思った部分に共感できなくとも、それはそれでいいじゃない、と。

自分が面白いと感じた要素を大事にして思い出したり、あるいはまた遊びなおせば良いわけですし、逆にみんなの意見を聞き新しい楽しみを知った上で、改めてプレイしなおすのもまた良いと思うのです。

確かに私はプレイした多くの方が共感した、ラストに感動することはできませんでした。「エンディングまで泣くんじゃない」のキャッチコピーなのに泣けませんでした。
けれど、それ以外で沢山良いことがありました。なら私はこのゲームを楽しんだし好きなのでしょう。いつも周りと同じである必要はないですよね。

■失われたものを体験する作品

『MOTHER』はその作風から、母親の無情の愛を書いた物語であると聞き及んでいます。そしてライターの糸井氏もまた、母親とわずかな時間しか共にできなかったとも。

また母親の愛情を通して、自己肯定の在り方を示す作品でもあるとも聞きました。
無条件に主人公を受け入れるマジカント、いじめられっ子で弱いロイド、忘れられた男、マリアの歌とギーグ。他にも随所に自らを認めてくれる存在をちらつかせていて、なるほどなと。

忘れられた男
幼少時にプレイしていたら理解できなかったと思います

私は10歳の頃に親が離婚しまして、母親についていった経緯があります。だから母親との関係は良くも悪くも理解しています。
一方で父親との思い出はほとんどなくて、けれど10歳までは僅かな時間ながら遊んで貰ったり叱られたりした思い出があって、僅かだけれど今も覚えています。

父はまだ存命で、会おうとすれば会える距離にいます。でも離婚してから数年後、中学生になった時に再会したのですが、その時には感覚的にもう他人だったのですよね。
良くはして貰ったし養育費もずっと入れてくれて、とても頑張ってくれていたと今なお感謝しています。でも、父親とはもう思えませんでした。
今にしてみれば再会時に初めて、私は父を失ったと実感したのだなと。

主人公がプレイヤーに、パパとの電話を替わるシーン
丁寧で他人行儀なパパの言葉が、自分に向かっているのが辛い

様々な温かいものが用意されたゲームですが、自身が僅かながら体験して、けど今は失わってしまった何かに対してのみ刺さる作品なのかもしれません。

もちろんプレイしたみんながみんなそうである、などと断言はできません。ただ私の刺さった個所がラストではなく父親との電話であったのは、父親と暮らした僅かな記憶が原因なのかなと。失われたものを心のどこかで求めているのかなと。

本作のプレイを振り返り、ふとそんな気持ちにさせられました。だから本作は「優しい」と評されるのかもしれませんね。少しだけ分かったような気がします。

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