【ゲーム感想_01】聖剣伝説
■繰り返し遊べる一本道のゲーム
やりこみ要素や分岐もない完全な一本道ゲーなのに、時間を空けては何十周とプレイしました。
他にも同じぐらい周回したゲームはいくつかありますが、それらは周回することで新しい展開や体験を得られるものばかり。
本作ほど周回してもプレイ内容が変わらないゲームを遊び倒したことはありません。
これが子供の頃だけの話であればただの思い出話なのですが、発売から30年以上経過した今なお、Switchの聖剣伝説コレクションでプレイしても楽しめるのですよね。
ふと思い出したときに最初から始めると、最後まで集中してプレイし続けてしまう。なんかもう、プレイ環境があるかぎり一生遊び続けられる自信があります。
本作以上に練り込まれた物語は数多とありますし、アクションRPGの観点から見ても、よりゲーム性に優れた作品はたくさん存在します。
なのに低スペックのハードで作られたゲームに、どうして今も惹かれ続けているのか。
初プレイ時の思い出や印象に残った場面や、数多の再プレイを振り返ることで見えたのは、私が子供の頃に抱いていた憧れ。
自分が大切な存在を守り抜く騎士となり巨悪を倒す、いわば王道のヒロイックファンタジーを、ゲームとしても物語としても追体験できる唯一の作品であったからのように思います。
■ゲーム性より爽快感重視のアクションパート
本作を攻略するタイプのアクションゲームとして見た場合、正直なところかなりの大味と評価せざるを得ません。
敵の初期配置はランダムで規則性がなく、動きもパターン化されておらず大雑把。攻撃を受けた際のペナルティも軽微で、困ったら強引に敵の懐へ入り、回復と攻撃を連打すれば何とかなってしまう難易度です。
そんな大味アクションゲームを何度もプレイし楽しめているのは、アクションパートが敵を倒す爽快感に溢れているから。GB以外でリリースされたゲームと比較しても劣らない、自キャラをサクサク動かせる快適さがあります。
敵を倒したときの実感、狙い通りに敵を撃破できた時の爽快感など、とにかくアクションパートが楽しく心地良いのですよね。
一方で敵の攻撃は回避しづらく、攻撃を食らわないよう意識しないとダメージを貰ってしまうバランス。ダメージを食らいまくっても死なないけど、それでは主人公としてカッコ悪い。
いかに被弾を抑え華麗に戦えるか、英雄譚に登場する騎士のように振る舞えるか、ロールプレイできるかに意識が向けられたゲームバランスです。
主人公へ指示を出すコントローラ部分もGBということで、その操作性はお墨付き。
気持ちよくボタンを押し、ボタンを押した結果がスムーズに画面から返ってきて気持ちよくなれる。アクションゲームとして最も大事な要素の1つに注力し、徹底的に洗練した作品でした。
アクションパートで耳にする各種SEも非常に心地良いのですよね。
敵にダメージが入ったときとダメージが入ってない時のSEが明確で、攻撃が当たったのかどうかを耳だけで判断できるのが快適です。
そして敵を倒したときの「バチュン!」というSE。これが本当に気持ちいい。
複数まとめて倒したときなんかは今でも脳汁がドバドバに溢れます。
一般的にアクションゲームの評価点は目に見えるものと難易度、そして攻略時の達成感が重視されがちです。
しかし『聖剣伝説』はその土俵だけでは勝負せず、ボタンを押したときのレスポンスの早さと快適さ、押した結果が画面に反映されるレスポンスの早さ、ボタンを押した時に鳴り響く耳心地の良いSE音など、複数の要素で勝負しています。
脳や目、指や耳から得られる爽快感。様々な感性で楽しめるよう構成されているわけです。
だから簡単でもアクションパートがとても楽しいのですよね。
ゲームとしての歯ごたえで勝負するのではなく、爽快感を得られ続けられるアクションパートで主人公を自分の分身として演じることに、ロールプレイングすることに特化したアクションゲーム。
アクションRPGを名乗るに相応しい作品の1つです。
■王道をドラマティックに見せるシナリオ
このようにゲームパートは、プレイヤーと主人公が一体となれるバランス調整が成されていました。
一方でシナリオパートの表現はゲームパートと真逆。プレイヤーの視点を主人公の視座から一歩下げた、物語的な要素の強い見せ方を意識しています。
世界を平和に導く力を持つ女性と邂逅し、彼女を守るために世界各地を駆け巡る騎士の物語。苦難に遭ったり心が折れることもあるけれど、最後には世界のため、ひいては彼女のために自らの全てを投げ打って巨悪を倒す英雄の物語。
そんな王道のヒロイックファンタジーが、様々な工夫を凝らして詰め込まれていました。
世間で本作が評価されている理由の1つが、この切なくも優しさ溢れるシナリオでしょう。
個性あふれる様々な登場人物と出会い、そして別れ、心も体も成長していく主人公。彼が懸命になって頑張り続けた姿を見届けたからこそ、その結末に寂しさや優しさを覚えずにはいられません。
物語をより盛り立てているのが、やはり本作で評価されているであろうBGM。当時のスクウェア作品が好きな方であればまずご存じであろう名コンポーザー、伊藤賢治氏が初めて単独で曲を作った本作は、氏の手掛けた作品の中でもとりわけ物語に寄り添った音作りがなされています。
ロマンシングサガシリーズ等と比較するとよくわかるのですが、本作以降に伊藤氏が手掛けた楽曲はゲームのワンシーンを切り取ったような作曲が多めです。
例えばロマサガ3ですと四魔貴族バトルの曲は戦闘の苛烈さを、ポドールイの曲なら夜の雪の街を連想させる楽曲ではありますが、曲と物語はリンクしていませんでした。
対して本作の場合、シナリオに寄り添った楽曲が大半を占めています。
例えば「戦闘2」であれば、アマンダの仇であるデビアス戦や因縁の相手であるシャドウナイト戦など、ボスバトルの緊張感以上に宿敵を討伐する使命感を意識した曲構成となっています。
また後半のフィールドBGM「聖剣を求めて」は前半BGMの勇壮なイメージも残しつつ、ジェマの騎士としての自覚を持った主人公の使命感、後がない悲壮感を想わせる楽曲で、やはりシナリオに寄り添った楽曲でした。
楽しい曲も悲しい曲も、ワンシーンや登場人物にフォーカスするのではなく、その後ろに流れる物語を常に意識した曲作りがなされているように聴こえるのですよね。
だからシナリオとBGMの親和性が非常に高い。このシーンでどの曲が流れていたか、スッと思い出せるぐらい印象に残っていて、その記憶からシナリオの所感も呼び起こされる。
シナリオとBGMがいつまでも語り継がれているその理由は、情感溢れるシナリオに物語を意識したBGMが常に寄り添っていたからでしょう。
■ゲームと物語が一体化した作品
よくあるRPGの紹介文などに「プレイヤーは主人公となって~」的な、主人公を自分と見なしてプレイすることを推奨する作品がいくつかあります。
一方で明示的でこそありませんが、プレイヤーの視点を観客の立場に置いて映画や小説、ドラマのようにゲームを視聴させる作品も存在します。
これまで書いてきたように、本作は主人公を演じるゲームパートと主人公達を見るシナリオパート、その両方を交互に楽しめる構成で作られています。
ですが両方を1つずつ、交互に楽しむような形式ではありません。ゲームがシナリオを、シナリオがゲームより引き立てる相乗効果を発揮しています。
小気味いいアクションパートの爽快感にのめり込み、魔物を倒す主人公を演じた後、シナリオパートで登場人物達のドラマティックな物語を読む。
主人公達の背景を理解した上で再びアクションパートに戻ることで、より主人公との一体感が得られる。
......何のことはない、要はRPGやアクションRPGにおけるゲーム進行のテンプレートです。
その上で本作が秀逸なのはゲームとシナリオの両方を疎かにせず、メインディッシュとしてプレイヤーに提供している点にあります。
ゲームパートは爽快感や主人公との一体感を感じ取れるように。シナリオパートは登場人物の描写を掘り下げるだけではなく、音楽も的確に用いて感情を増幅することで。
それぞれが真剣に創られているからこそ、双方を掛け合わせた際の相乗効果がとんでもないクオリティと化しています。
このシナジー効果を最も体感できるシーンの1つが、アマンダとの今生の別れでしょう。
魔物へと変貌するアマンダの想いをテキストとBGMで切に訴えた上で、プレイヤー自らのボタン入力によってアマンダを殺害させるシーンです。
ゲームパートで魔物を倒す爽快感を得ていたからこそ自らの手を汚すように感じられ、攻撃ボタンを押しアマンダを殺すことを躊躇ってしまいました。
主人公=プレイヤーであることを知らしめる実に効果的な、そして残酷な強制イベントです。
アマンダのエピソードで心を痛めたからこそ、元凶であるデビアスとの戦いに、仇討ちの心を込めて挑むことができます。
ここでかかるBGMが前述の「戦闘2」。伊藤賢治氏による最高のBGMとSEを背景に、シナリオが用意した最高のシチュエーションを理由に、自身の手で主人公を動かしてアマンダの仇をとることができるのです。
これほどまでにプレイヤーの心を奮い立てる演出が、30年以上前に発売された、容量2Mbitしかないゲームの中に用意されていました。
シャドウナイトとの一騎打ちも、ボガードと喧嘩する場面も、マーシーの献身と最期も、最後の戦いも。ゲームがプレイヤーを世界に引き込み、物語がプレイヤーに様々な感情を与えてくれました。
だからこそ、悲しく切ないながらも優しさ溢れるエンディングにも理解が及びました。
主人公とヒロインがこの旅路を通して何を悟ったのか。それは作中で語られることはないのだけれど、主人公と一体となって魔物を倒し、同時にその生き様を見守ってきた自分にはなんとなく理解できたように思えました。
主人公を演じるゲームに、主人公を観る物語。双方を成し得た1つの作品が持つパワーを幼少時に体験できたことは、私のゲーム人生において僥倖と云う他ありません。
そしてそのベースとなった物語が、やはり私が幼い頃に憧れた、自分が大切な存在を守り抜く騎士となり巨悪を倒す、王道のヒロイックファンタジーであったことを大変幸せに思います。
掛け値なしに素晴らしい作品でした。これからも幾度もプレイして、その感動をいつまでも持ち続けたい限りです。