「別れの気持ち」がFunkotになった経緯
先日、【 自作曲投稿 】として「別れの気持ち」という曲のデモバージョンをアップ致しました。この曲は現時点で自分が一番最後に作った曲となります。
制作・発表年は2015年。曲のジャンル(フォーマット)はインドネシアのゲットーハウスの一派であるFunkotというジャンルであり、その作法を出来る限り踏襲して作るよう心がけました。
ここで初めて「Funkot」(ファンキーコタともいう)の存在を知った方も多いでしょう。日本では相当マイナーなジャンルと言えます。ただ、2014~15年の国内一部の界隈においては注目されてたジャンルでした。今回はそんな当時の状況をお話ししたいと思います。
まず、当時の日本でFunkotを積極的にアピールし、流行らせようとしてた人として、高野政所氏が挙げられます(現・プロハンバーガー)。
で、俺個人としては政所氏がソロ活動をする前に所属してた「レオパルドン」というユニットの事を知っており、存在自体は認識していました。なおレオパルドンでの政所氏はMC/ラッパーだったので、DJやコンポーザーをしているのは知りませんでした。
その政所氏、色んな経緯があり当時TBSラジオの夕方帯番組「ザ・トップ5」のパーソナリティをしており、TBSラジオフリークだった俺はびっくりする訳です。「あ、レオパルドンの人、TBSで喋ってるわ」って。
その頃に彼の当時のソロユニット「DJ Jet Baron」のメジャーデビューという流れがありました。楽曲にはTBSラジオ関係者の参加などもあり、デビューアルバム発売までの流れは俺も相当楽しんでました。
一方俺自身は、当時もほぼ諦めてはいたものの自分の歌曲で世に出たいという思いが残っており、何とか曲を作ろうともがいていた時期でした。
どういうジャンル、フォーマットでアレンジしようかと思っていた時に上記の流れに乗り、じゃあ自分もFunkotに乗せた歌ものを作ってみようと思い立った訳です。
政所氏のソロアルバムを買って聴き、どのようにガワを寄せようと考えていましたが、どうせなら本人に訊いてみようと思い、当時政所氏が渋谷は道玄坂の上で営業していた「Acid Panda Cafe」という小箱(キャパの小さいクラブ)に行って、彼の主催するパーティに参加してきました。
画像を探してたら見つかったんですが、日付を見ると2015年2月23日。残ってる画像には政所氏は映っておらず、代わりにゲストで来てた掟ポルシェさん(ex:ロマンポルシェ)と俺のツーショットなどが収められていた。
で、その時に画像は撮らなかったものの政所氏と話す機会があり、どうやって作ってるかなどの情報を聞くことが出来た。FL Studioで作ってるとか、定番の声ネタはインドネシア現地のクラブでDJに直接もらったとか。
それらの情報を元に、さあ自分でも作ってみようと思った矢先(お店行ってから2週間後?)、まさか政所氏がタイーホされるとは。アレはさすがにびっくりしたわ。
それでもそんな衝撃の事態にもめげず、5月までに「別れの気持ち」を作り終え、プロの作曲家先生に聴いていただく機会を得ました。ただ、その際の先生の微妙な反応と総評を伺い、完全に自信を失い、結果として作曲を諦める決定打となりました。
そんな感じで、自分の過去曲はどれも思い入れがありますが、この曲は特にそういう印象深い思い出と紐付けされた曲です、という昔語り記事でした。
お時間ございましたら他の曲もお聴きください。