おっさん昔語り -音楽編-(3) 中学2年〜高校1年
前回の「音楽編(2-2)」では中1から
中2の頃にかけて自分が音楽に興味を
持ち始めてよく聞くようになった
ミュージシャンについて書いてみました。
基本的にフツーにJ-POPを聴いてたし
何かの偶然が無い限り、ずっとその
流れだったと思います。
で、今のこの時代(2020年代)では
「偶然の出会い」ってほぼほぼ無いように
社会システムって出来上がっていますよね。
それは顧客を特定の情報に誘導する
システムが出来上がってるから。ネットで
検索をして、検索した内容に紐付けされた
リンクのみが表示される。単純にその方が
売れるから。だから、全然知らんものを
偶然知る可能性って今は低いんですよ。
でも、僕が中学生だった当時はネットの
ネの字も無い時代(windows95が出る前)
だから、テレビ・ラジオ・雑誌以外の
情報媒体無し。それゆえに、むしろ情報は
偶然にしか入ってこない時代でもあったん
ですよ。それが僕のカルチャーに色濃く
影響しました。
具体的に言ってしまうと、多分中2の
中頃だったと思うけど、僕はよく
地元U局(この言い方さえ若い人には
通じないよな)のミュージックビデオ
だけ流す番組を見ておりまして。
DJが曲を紹介するような洒落た
構成じゃなく、ただランダムに
MVが流されてるだけの番組。
そこでたまたま出会ったのが、
YMOの「Firecracker」のMV。
これにすげえ衝撃を受けた。
誇張無しに電流走るレベルで
衝撃を受けた。
SONYもAlfaも公式でMVを上げて
ないので、曲の動画リンク貼ります。
はっきり言って、俺が生まれた頃に
発表された曲で、初めて聴いた当時ですら
新しくも何ともないんだけど、何故か
そこに俺は「未来!」を感じたんですよ。
というか概念自体を後付けで知ったんだけど、
「レトロフューチャー」という世界観が
俺の好みにどハマりしたんだ。サイバー
パンクとかとは違ってね、今そこにある
未来じゃなくて「昔の人が想像で作り上げた
未来像の具現化」が俺は本当に好きなんだ。
ただ、その時はそんな事に気付いてなくて、
ただ衝撃を受け、曲のタイトルをメモった。
そこから近所の本屋を探し歩いたんですよ。
当時はネットが無いから見たものすぐに
検索なんて出来ないからね。何でもまず
本屋で探す。本屋、図書館、電話帳
(これマジだかんね)。そしてレコード屋。
そこで幸運だったのは、YMOが日本の
音楽史に名を残すほどの超有名ユニット
だったこと。当時の俺ですら情報に
辿り着けた。そしてもう一つ運命的なのは、
当時「テクノリバイバル」が起こりつつ
あったこと。80年代初頭のブームが
90年代に入ってリバイバルされる流れが
あったんだ。その中で奇跡的に起こった
事が、YMOの再結成。
奇しくも再結成直前にユニットの存在を知り
「リアルタイムで」活動を見る事が出来た
世代は、そんなに多くはなかったと思う。
「栄光の時代を知って」追ってる人達が
ほとんどだったからね。だから、中2の
俺のリアルタイムのYMOはアルバム
「TECHNODON」です。このアルバムの
評価が低いことに対しては本当に納得が
いかない。俺はここから受けた影響は
計り知れないわ。
また、YMO関連の情報を探す中で
運命の雑誌とも巡り会った。それが
「ピコ・エンタテインメント」という
雑誌。これはあまりにマイナー過ぎて
知る人ぞ知る雑誌で、表紙は江口寿史、
創刊から2号で廃刊。wikipedia探した
けど無い。この雑誌が特集してた
「テクノポップ」というジャンルが、
それ以降俺が聴く音楽を決定付ける
事となった。
当時は小遣いが少ない事もあってCDも
何枚も買えたもんじゃなかったけど、
ピコのvol.1に載っていた「テクノポップ
名盤100選」に載ってるアルバムで、
見つけたものから順に買ってくような
感じだった。俺の音楽に対する感性に
おいて、この雑誌の影響は絶大。
そして、同じく地元U局を流し見してた
時に流れたコンサートの告知CMで、
すげえインパクトの強いユニットが
いたんだ。それがP-MODEL。これも
俺の生まれた頃から活動してたバンド
だけど、解凍(→活動再開)がちょうど
この時期に重なってたのよね。それで、
ピコにも載ってたアルバム「Big Body」を
購入し、そりゃ一瞬でハマるんですよ。
師匠の公式に当然PのMVは無く、
これも在野の音源を貼ります。
こんな感じでテクノポップ、シンセポップ、
テクノ、ハウスなどの音楽ジャンルを知ると、
J-POP聞いてる時間も無いし、買ってる
カネの余裕もないんですよ。そうなると
もう一辺倒。中3になると高校受験が近付き、
田舎の実家から近い最寄りの中心街の塾に
通うようになり、そこの駅ビルに入ってた
大きめのCDショップにも行くようになり、
地元では見つからなかった音源も買える
ようになったのが大きかったな。
実は当時メディア的にも空前の(国内)
テクノブームが来てて、俺もその流れで
電気グルーヴやKen Ishiiを知る事になるの
だが、それは高校時代に被ってくるので、
また次回以降に。また、高校に入ると
自作曲も作り始めるのだが、それは別に
「おっさん昔語り -作曲編- 」か何かで
まとめて書きます。(公式じゃない
youtube貼るのって著作権的にアウト?)
続きの記事「-音楽編-(4-1)」